はじめに:白雪姫がごみを拾うって、アリですか?
ある日、1日の終わりの国語の時間。 子どもたちの集中が切れかける頃、私はグリム童話『白雪姫』の教材を手に、どう授業を始めようかと考えていました。
教室がざわつく中、男の子がぽそっと言いました。 「白雪姫もごみ拾うかなあ」 「掃除当番だったらやると思うよ」──すかさず、別の子が返します。
すると、ある女の子が私の机のところに来て、真顔で聞いてきました。 「先生、白雪姫もごみを拾うって、ありですか?」
私は一瞬、言葉に詰まりました。 白雪姫がごみ拾いをするなんて、そんなイメージ、私の頭にはまったく浮かんでこなかったのです。
「みんなはどう思う?」と尋ねると、教室の空気が一気に変わりました。
「ごみ出しにお金、いるよ」 「白雪姫にやらせればいいじゃん」 「王妃が“ごみ有料化令”出すんだよ!」
子どもたちの声がどんどん大きくなっていきます。 これはもう、漢字の読み書きや段落の解釈どころではない。 私は思い切って、予定していた授業をやめました。
「よし、今日は“白雪姫ごっこ”をしよう。 でも、物語のあらすじは変えないでね。 その中で、みんなの“ごみの話”を入れてみよう」
こうして、子どもたちと一緒に、 “白雪姫がごみを拾う”という、まさかのごっこ遊びが始まったのです。
ごみ問題から始まった子どもたちの問い
「うちのお母さん、すごい怒ってた。ごみ出すのにお金、かかるんだって」 「ごみ袋も高くなるんだよ」 「お金ない人はどうするの?って言ってた」
子どもたちは、最近話題になっている“ごみ有料化”の話題を、 家庭の中の“怒り”や“ため息”を通して、ちゃんと感じ取っているのです。
それは、ただのニュースではなく、 自分たちの暮らしに関わる“リアルな問題”として、心に引っかかっている。
物語のあらすじは変えずに、現代の問いを重ねる
私は、子どもたちにこう伝えました。 「白雪姫の物語は、変えないでやってみよう。 でも、その中で、今の“ごみのこと”を考えてみよう」
原作を大切にすること。 それは、私の中でずっと大事にしてきた信念です。
古典は、時代を超えて語り継がれてきた“人間の問いのかたまり”です。 だからこそ、今を生きる子どもたちが、そこに自分の声を重ねることで、 物語が“現代の問題解決の糸口”になる。
ごっこ遊びは、ただの遊びではありません。 子どもたちが、物語を通して社会と出会い、自分の言葉で問いを立てる場なのです。
ごっこ遊びの中で社会を生きる
「王妃のドレスどうする?」「ごみ袋で作ろうよ!」 「森のごみは、牛乳パック切って置こう」 「毒リンゴは、新聞紙で包んで赤く塗る!」
子どもたちは、“ごみ”を素材にして物語を立ち上げていきました。 それはまるで、捨てられたものから物語を拾い直す作業のようでした。
王妃役の子が、急に言いました。 「この国では、ごみを出すにはお金がかかります!」
すると、未来くんがすかさず返します。 「じゃあ、お金ない人はどうするの? ごみ出せないの?」 「出せません!」 「それって、いじめじゃん!」
そのやりとりに、周りの子たちがざわっとしました。
「じゃあ、森に捨てる?」 「森がごみでいっぱいになるよ」 「白雪姫が拾えばいいじゃん」 「え、なんで白雪姫が拾うの?」
そのとき、白雪姫役の子がぽつりとつぶやきました。 「だって、わたしも捨てられたから」
私は、思わず息をのみました。 子どもは、ほんとうに、物語の奥を見ている。
焼けた靴は、ごみではない
物語は原作通りに進みます。 白雪姫は毒リンゴを食べ、王子に出会い、結婚式を迎える。 王妃は、焼けた鉄の靴を履かされ、踊り続け、倒れます。 舞台の中央に、焼けこげた靴だけが残されます。
未来くんが、ぽつりとつぶやきました。 「これは、ごみ? それとも、気づきのあと?」
私は、そっとその靴を見つめました。 焼けた靴は、王妃の過ちの証であると同時に、 そこから何かが変わる“再生のしるし”にも見えました。
人の目には、ただの“ごみ”に見えるかもしれない。 でも、子どもたちは、その中に“気づき”を見つけていたのです。
子どもたちが出した“ごみ問題”への答え
終わったあと、輪になってふりかえりをしました。
「王妃、ちょっとかわいそうだった」 「でも、あの靴…ほんとにごみかな?」 「白雪姫が拾ってくれて、よかった」 「なんかさ、捨てるって、こわいね」
しばらくして、未来くんがまた言いました。 「ごみって、出す人だけが悪いのかな」 「王妃が“きれいなものだけ残す”って言ったけど、 じゃあ、きれいじゃないものは、全部いらないの?」
すると、別の子が言いました。 「ごみを出すのにお金がかかるなら、出さなくてすむようにすればいい」 「たとえば、何回も使えるものにするとか」 「王妃が“ごみを減らす学校”を作ればいいんじゃない?」
それは、制度の批判ではなく、 仕組みを変える提案でした。
子どもたちは、ただ怒るだけでは終わらない。 ごっこ遊びの中で、現実の問題に対して“自分たちなりの解決”を模索していたのです。
あとがきにかえて:古典は、今を照らす光になる
グリム童話『白雪姫』は、ただ古いだけの昔話ではありません。 時代が変わっても、人が生きる根っこをそっと教えてくれる物語です。
けれど、ただ読み聞かせていただけでは、その深い意味やメッセージにはなかなか気づけません。 劇遊び、ごっこ遊びという“体験”を通してこそ、物語の本質が子どもたちの心に届くのだと、私は実感しています。
私は長年、子どもの現場で物語教育を実践してきましたが、 「白雪姫」でごみ問題を考えるなど、思いもよりませんでした。 それを自然に結びつけた子どもたちの感性と問題意識の高さに、私は心を打たれました。
古典は古くない。 むしろ、今の社会を照らし、問い直すための“生きた教材”なのだと、改めて教えられました。
これからも、子どもたちのために、そして私自身の学びのために、 昔話を題材にしたごっこ遊びを続けていこうと思います。
ごっこ遊びの中で、怒り、問い、赦し、そして希望を演じた子どもたち。 その姿に、私は確信しました。
物語教育は、社会を生きる“心の訓練”になる。 そして、子どもたちの声こそが、今を照らす光になるのです。
古典の中には、現代の問題を解決する力が眠っています。 どうぞ、あなたも一度、試してみてください。

コメント