はじめに:語りは“問い”を灯す営み
私が『スイミー』に初めて触れたのは、教育現場に立ち始めてまもない若い頃でした。それまでは絵本をただ「読むもの」と思っていましたが、子どもたちの前で声に出して読むと、物語の一場面ごとに目を輝かせたり、黙ったりする姿に出会いました。
あるとき「もし君がスイミーならどうする?」と尋ねると、しばし沈黙が流れ、やがて一人の子が「怖いけど、友だちがいたら頑張れる」と言いました。その瞬間、この絵本は単なる物語以上の力を持っていると気づきました。
スイミーを通して得られるのは勇気だけでなく、自分を見つめ、仲間とともに前に進むための“生き方のヒント”なのです。
『スイミー』——ちいさな かしこい さかなの ものがたり
物語の始まりは、広大な海の中。群れで暮らす赤い魚たちの中に、ひとりだけ黒い魚がいました。それがスイミーです。仲間より少し違う色を持っていた彼は、どこか特別で、誰よりも速く泳ぎまわる好奇心旺盛な子でした。
しかし、ある日突然、大きな魚が現れ、仲間は一瞬で食べられてしまいます。残されたのはスイミーただ一匹。深い海の孤独に包まれながら彼は旅に出ます。私はこの場面を読むとき、必ず子どもたちに問いかけます。
「君が最後の一匹だったら、どうする?」。ある子は「海に隠れる」と言い、ある子は「泣いちゃう」と答えます。その答えの一つ一つこそが、スイミーの旅を自分自身に重ねる大切なプロセスなのです。
レオ・レオニ——絵本に命を吹き込んだ芸術家
この物語を生み出したレオ・レオニは1910年オランダ生まれ。芸術的な家庭で育ち、後にデザインの世界で成功したのち、子どもたちのために数々の絵本を残しました。
私が最初にスイミーに触れたとき、切り絵のように美しい魚の群れと海の色彩に心が奪われました。のちに彼が孫を楽しませるために即興で物語(「あおくんときいろちゃん」)を語ったことがきっかけで絵本作家になったと知り、どこか自分と重なりました。
私もまた、教室や自宅で「即興の語り」を子どもたちに届け、その瞬間の表情や沈黙に何度も驚かされてきたからです。
彼の作品には「違い」「孤独」「協力」が流れ続け、それが時代を超えて心に届きます。
「ちがい」から始まる旅——スイミーの黒い体が語ること
スイミーは群れの中で唯一黒い体をしていました。その違いは孤独を生みましたが、同時に世界を見つめなおす目を育てたのです。私自身、小学生の頃に転校し、友達がなかなかできなかった経験があります。
一人で過ごす昼休みは寂しかったけれど、その時間に絵を描いたり本を読んだりすることで、自分の好きなことに没頭する力を得ました。語りの場でこの体験を話すと、子どもたちは自分の“ちがい”を思い出し、口々に語ります。
「ぼくは走るのが遅いけど絵は得意」「私は背が低いけど歌が好き」。『スイミー』は違いを否定せず、それを強さに変える可能性を見せてくれます。
ひとりでいる時間は、さびしいけれど、 その中でスイミーは、少しずつ「自分らしさ」を見つけていった。 そして、仲間のために何かできるかもしれない——そう思えるようになった。
スイミーの成長は、ひとりの時間から始まったのです。
黒い体のスイミー——“ちがい”と“ひとりの時間”
スイミーは、みんなとちがう黒い体を持っていました。 その“ちがい”が、彼をひとりぼっちにし、海の底へと導きます。 でもその孤独こそが、スイミーのまなざしを育てる時間でした。
でも、ちがいは劣っていることではありません。 ちがいは、世界を広げる入り口です。
語りの現場では、私は子どもたちにこう問いかけます。 「もし君がスイミーだったら、どう感じる?」 「みんなとちがうって、どんな気持ち?」
子ども達は顔を見合わせて口ごもります。本当の気持ちを言ってもいいのかな、誰かに何か言われるんじゃないかな。先生はどんな顔するのかな?すぐには話してくれませんが、根気よく語りかけてゆくと顔が和んできてやっと言い始めます。
「ひとりぼっちなんてイヤだよ!」一人が言い出すと、クラス中が一斉に大きな声で自分の気持ちを話し始め、沸点までいくとやがて静かになり本音を言ってくれるようになります。ここまで辛抱して待ちましょう。1分待てば口を開いてくれますよ。
子どもたちは、自分の中の“ちがい”に気づき、 それを受け入れることの意味を少しずつ言葉にしていきます。
海底での出会い——心を耕す命たち
旅の途中、スイミーが出会うクラゲや海藻、色とりどりの魚たちは、ただの挿絵にとどまりません。ふわりと漂うクラゲに「気持ちよさそうでも流されちゃうのかな」と語る子がいました。根を張る海藻を見て「動かなくても強いってことだね」とつぶやいた子もいます。
スイミーの目を通して世界を見ながら、子どもたちは「自由」「根を張ること」「多様な個性」などを考え始めます。そこに語り手が「君にとって根を張るって何?」と問いかけると、子どもたちは「お母さんが家にいてくれること」「友だちといること」と、自分の生きる場に結びつけて答えるのです。
岩陰の仲間たちへ——「出ておいで」の呼びかけ
やがてスイミーは岩陰に隠れて出てこない仲間たちと出会います。彼は「出ておいで」と呼びかけ、仲間を導きます。この場面を声に出して読むと、子どもたちの表情が固まります。
「もし君が岩陰に隠れる魚だったら?」と聞くと、「怖くて出られない」という子もいれば、「みんなで行くなら出る」と言う子もいます。 そこでスイミーは「ぼくが目になろう」と宣言し、群れの先頭に立ちます。
私も必ず問いかけます。「君ならどの役割がいい?」。すると「ぼくは尾びれになって行先を押す」「私は胸びれでバランスを取る」と、それぞれが自分の居場所を見つけていくのです。この瞬間、物語は子ども一人ひとりの物語になります。
「君は何になってくれる?」——役割への気づき
スイミーは、仲間と力を合わせる方法を考えました。 それぞれが役割を担い、スイミーは“目”になる。
私は語りの中で、子どもたちに問いかけます。 「君は、何になってくれる?」 「どうしてその役割を選んだの?」
すると、子どもたちは自分の存在と役割に気づき始めます。 「ぼくは尾鰭。みんなを前に進ませたい」 「わたしは胸鰭。バランスをとる役目がいい」 そんな言葉が、自然にこぼれてくるのです。「すご〜い!尾鰭になってくれるのね。みんなを前にsusumess
語りは、子どもたちが「自分が仲間の力になれる」と感じる時間。 それは、自己肯定感と他者へのまなざしを育てる営みでもあります。
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