絵本『スイミー』から学ぶ子どもの成長力:違いを受け入れ、協力する心を育てる語りの実践と家庭教育のヒント

舞台

📌 本記事は著者の55年以上の演劇・語り芝居の現場体験に基づく個人の見解です。実践の際は各現場の状況に合わせてご活用ください。

✅ この記事でわかること

  • はじめに:絵本は生きる土台を作る
  • 『スイミー』——ちいさな かしこい さかなの ものがたり
  • レオ・レオニ——絵本に命を吹き込んだ芸術家
  • 「ちがい」から始まる旅——スイミーの黒い体が語ること
  • まとめ:語り手として、スイミーの“目”でありたい

はじめに:絵本は生きる土台を作る

私が『スイミー』を教室で初めて読んだのは、小学校の新任教師として日々試行錯誤していた頃でした。2年生の子ども達は、新任の私を試すかのようにざわざわして落ちつきません。

このまま算数の授業に入ってもうまくいかないだろうな、と思った私は絵本を取り出し、「ねえ、みんな、絵本、聞いてくれる?」と、明るく語りかけました。

「絵本?いいけれど、何、読んでくれるの?」私がスイミーの絵本を見せると、机をがたがた言わせていた子どもも、後ろ向きで消しゴムを飛ばしていた子どもも前を向きました。

「幼稚園のとき、読んでもらった」「わたしは保育園で!」「うち、その本、あるよ」子どもたちは口々に話しはじめ、「読んで!」「算数はあとでいいじゃん」と目を輝かせました。

子どもたちは息をひそめて絵本に引き込まれていきました。

スイミーがひとりぼっちになった瞬間、教室全体の空気が静まり返ったのを今でも覚えています。

ある子は「怖いけど、友だちがいたら頑張れる」と呟きました。その小さな声がきっかけで、私は絵本の力を見直しました。

スイミーを通して、子どもたちは「仲間とどう生きるか」「違う自分をどう受け止めるか」を自然に学んでいきます。

あるとき「もし君がスイミーならどうする?」と尋ねると、しばし沈黙が流れ、やがて一人の子が「怖いけど、友だちがいたら頑張れる」と言いました。

その瞬間、この絵本は単なる物語以上の力を持っていると気づきました。

スイミーを通して得られるのは勇気だけでなく、自分を見つめ、仲間とともに前に進むための“生き方のヒント”なのです。

『スイミー』——ちいさな かしこい さかなの ものがたり

現場からのひとこと

2年生の教室。 ざわざわしていた空気が、絵本を開いた瞬間にすっと静まりました。

スイミーが仲間を失い、ひとりぼっちで海をさまよう場面。ページをめくると、前列の男の子が 自分の腕をぎゅっと抱えました。

寒いわけではありません。ただ、絵本の中の「ひとり」を体で受け止めたような動きでした。

隣の女の子が、ページのスイミーを指さしながら 「この子、さみしいよね…」 と小さく言いました。 声はほんのささやき。でも、その声に周りの子どもたちの視線が一斉に絵本へ戻りました。

私はそこで、静かに問いかけました。

「もし君がスイミーだったら、どうする?」

教室に、短い沈黙が落ちました。

後ろの席の男の子が、「こわいけど…どこかに行ってみる」と言いました。その言葉に、前列の子がゆっくりうなずきました。別の子は、机の上の鉛筆をそっと横に置きました。「じっとしてたら、もっとこわいから」と続けました。

その瞬間、私ははっきり感じました。

子どもは物語の中で、自分の考えを試している。スイミーが一歩踏み出す場面は、子ども自身が“自分で決めて動く力”をそっと使う時間になっている。

この気づきは、説明ではなく、子どもの体の動きとして目の前で起きる出来事です。

💡 現場からのポイント

子どもたちが物語の中で「選択する場面」を体験すると、思考力・共感力・自己表現力が自然と育まれます。語り芝居は、答えを教えるのではなく、子ども自身が考える時間を生み出す場です。

物語の始まりは、広大な海の中。群れで暮らす赤い魚たちの中に、ひとりだけ黒い魚がいました。

それがスイミーです。仲間より少し違う色を持っていた彼は、どこか特別で、誰よりも速く泳ぎまわる好奇心旺盛な子でした。

しかし、ある日突然、大きな魚が現れ、仲間は一瞬で食べられてしまいます。

残されたのはスイミーただ一匹。深い海の孤独に包まれながら彼は旅に出ます。私はこの場面を読むとき、必ず子どもたちに問いかけます。

「君が最後の一匹だったら、どうする?」ある子は「海に隠れる」と言い、ある子は「泣いちゃう」と答えます。

その答えの一つ一つこそが、スイミーの旅を自分自身に重ねる大切なプロセスなのです。

対象 活動内容 育つ力
保育園・幼稚園 読み聞かせ・人形劇 想像力・感情表現
小学校低学年 劇あそび・ごっこ遊び 共感力・協調性
小学校高学年〜中学生 語り芝居・ミュージカル 自己表現・意思決定力

 

レオ・レオニ——絵本に命を吹き込んだ芸術家

現場からのひとこと

3年生の図工室。『スイミー』の原画展を見た翌週、子どもたちと「海のいきものを作ろう」という授業をしていたときのことです。

机の上には、青い画用紙、ちぎった折り紙、細い色紙の切れ端。 その中で、ひとりの男の子が、赤い紙をじっと見つめていました。

しばらくして、彼はその紙をゆっくりちぎり、「これ、スイミーの仲間にする」とつぶやきました。

私はそばで見守りながら、「どうして赤にしたの?」と聞きました。

男の子は手を止めずに言いました。「レオニさんの絵って、ちぎったところが生きてるみたいだったから。ぼくもそうしたい」

その言葉に、周りの子どもたちが顔を上げました。別の子が青い紙を手に取り、「海って、こうやって重ねると深くなるよね」と言いながら、紙を少しずらして貼り始めました。

その瞬間、図工室の空気が変わりました。ただの工作ではなく、“自分の感じたことを形にする時間” に変わったのです。

レオ・レオニの作品を見た子どもたちは、色や形の“理由”を探し始めます。「なんでこの色なんだろう?」「どうしてこの形なんだろう?」 その問いが、作品づくりの手を自然に動かしていきます。

私はその場で強く思いました。

レオニの絵は、子どもに“考える手”を与える。そして、考えたことをそのまま表現していいんだと背中を押してくれる。

図工室の机の上で、ちぎられた紙片がひとつの海になっていく様子は、まるでレオニの原画の前に立ったときの静かな感動が、 子どもたちの手の中に移っていくようでした。

✳︎レオ・レオニの写真 2025年、東京渋谷で開催されたレオ二展で 本人撮影

『スイミー』の作者、レオ・レオニはグラフィックデザイナーとしても名を馳せた芸術家でした。彼の作品はどれも「違い」「孤独」「協働」といった人間の根源的なテーマをやさしい色彩と形で描いています。

彼は、孫に物語を即興で語ったことがきっかけで絵本作家となりました。その姿勢に私は深く共感します。

なぜなら、語りにも即興があり、子どもの表情や沈黙から生まれる“気づきの瞬間”こそが、教育の本質だからです。

『スイミー』は美しい絵だけでなく、静かな哲学を持つ物語なのです。

私が最初にスイミーに触れたとき、切り絵のように美しい魚の群れと海の色彩に心が奪われました。

のちに彼が孫を楽しませるために即興で物語(「あおくんときいろちゃん」)を語ったことがきっかけで絵本作家になったと知り、どこか自分と重なりました。

私もまた、教室や自宅で「即興の語り」を子どもたちに届け、その瞬間の表情や沈黙に何度も驚かされてきたからです。

彼の作品には「違い」「孤独」「協力」が流れ続け、それが時代を超えて心に届きます。

「ちがい」から始まる旅——スイミーの黒い体が語ること

現場からのひとこと

一人で過ごす昼休みは寂しかったけれど、その時間に絵を描いたり本を読んだりすることで、自分の好きなことに没頭する力を得ました。

語りの場でこの体験を話すと、子どもたちは自分の“ちがい”を思い出し、口々に語ります。

「ぼくは走るのが遅いけど絵は得意」「私は背が低いけど歌が好き」。『スイミー』は違いを否定せず、それを強さに変える可能性を見せてくれます。

ひとりでいる時間は、さびしいけれど、その中でスイミーは、少しずつ「自分らしさ」を見つけていった。

そして、仲間のために何かできるかもしれない——そう思えるようになった。スイミーの成長は、ひとりの時間から始まったのです。

黒い体のスイミー——“ちがい”と“ひとりの時間”

現場からのひとこと

5年生の教室で『スイミー』を読み語りした日のことです。

スイミーが仲間の中でただ一匹、黒い体をしている場面。ページを開いた瞬間、前列の男の子が 自分の手の甲をじっと見つめました。そのあと、袖を少し引っ張りながら、「ぼく、みんなより手が黒いんだよ」とつぶやきました。

声は小さかったのに、その言葉に周りの子どもたちの視線がふっと彼に向きました。

隣の女の子が、机の端を指でなぞりながら 「私は背が低い。ずっと気になってる」と言いました。

後ろの席の子は、ノートを閉じて「走るのは遅いけど、絵は得意」と静かに続けました。

誰も笑いません。誰も茶化しません。ただ、絵本のスイミーの黒い体を見ながら、自分の“ちがい”をそっと言葉にしていく時間 が流れました。

そこで私は、子どもたちの視線が自然に集まったのを見て、自分の体験を短く話しました。

「先生もね、小学生のころ、昼休みをひとりで過ごしてた時期があったよ。 その時間に絵を描いたり本を読んだりして、 “こういう時間が好きなんだ”って気づいたんだ。」

その瞬間、前列の男の子が顔を上げて、「ひとりの時間って、悪いことじゃないんだね」と言いました。

別の子が続けました。「スイミーもひとりだったけど、そこで強くなったんだよね。」

机の上の鉛筆をそっと置く子、 ページのスイミーの黒い体を指でなぞる子、 目を閉じて考える子。

子どもは、物語の中で自分の“ちがい”を安全に試す。 そして、そのちがいをどう扱うかを、自分の言葉で決めていく。

その場面は、まさにそれが目の前で起きた瞬間でした。

スイミーは群れの中でただ一匹黒い体をしていました。子どもたちにとっても「自分だけ違う」という経験は身近です。

私自身、小学生のころ転校先でなかなか友達ができず、昼休みをひとりで過ごした時期がありました。

孤独な時間の中で感じた不安や寂しさは、今思えば内省する力を育ててくれたように思います。

語りの場でこの体験を話すと、子どもたちもそれぞれの“ちがい”を語り始めます。

「絵を描くのは好き」「運動は苦手だけど友達を笑わせるのが得意」など、一人ひとりが自分の特性を誇らしげに言葉にします。

スイミーの物語は、違いを恥じるのではなく、それを自分の強みに変える勇気を子どもたちに与えてくれます。

ひとりでいる時間は、さみしいけれど、その中でスイミーは、世界を見て、考えて、動き出す力を育てました。語りは、その“ひとりの時間”の価値を、子どもたちにそっと伝える営みでもあります。

海底での出会い——心を耕す命たち

旅の途中、スイミーが出会うクラゲや海藻、色とりどりの魚たちは、ただの挿絵にとどまりません。

ふわりと漂うクラゲに「気持ちよさそうでも流されちゃうのかな」と語る子がいました。

根を張る海藻を見て「動かなくても強いってことだね」とつぶやいた子もいます。スイミーの目を通して世界を見ながら、子どもたちは「自由」「根を張ること」「多様な個性」などを考え始めます。

そこに語り手が「君にとって根を張るって何?」と問いかけると、子どもたちは「お母さんが家にいてくれること」「友だちといること」と、自分の生きる場に結びつけて答えるのです。

岩陰の仲間たちへ——「出ておいで」の呼びかけ

やがてスイミーは岩陰に隠れて出てこない仲間たちと出会います。彼は「出ておいで」と呼びかけ、仲間を導きます。

この場面を声に出して読むと、子どもたちの表情が固まります。

「もし、君が岩陰に隠れる魚だったら?」と聞くと、「怖くて出られない」という子もいれば、「みんなで行くなら出る」と言う子もいます。

そこでスイミーは「ぼくが目になろう」と宣言し、群れの先頭に立ちます。

私も必ず問いかけます。「君ならどの役割がいい?」。すると「ぼくは尾びれになって行先を押す」「私は胸びれでバランスを取る」と、それぞれが自分の居場所を見つけていくのです。この瞬間物語は子ども一人ひとりの物語になります。

「君は何になってくれる?」——役割への気づき

スイミーは、仲間と力を合わせる方法を考えました。 それぞれが役割を担い、スイミーは“目”になる。

私は語りの中で、子どもたちに問いかけます。「君は、何になってくれる?」「どうしてその役割を選んだの?」

すると、子どもたちは自分の存在と役割に気づき始めます。

「ぼくは尾びれ。みんなを前に進ませたい」「わたしは胸びれ。バランスをとる役目がいい」 そんな言葉が、自然にこぼれてくるのです。「すご〜い!尾びれになってくれるのね。

語りは、子どもたちが「自分が仲間の力になれる」と感じる時間。それは、自己肯定感と他者へのまなざしを育てる営みでもあります。

教室での体験:語りがつなぐ心

私は授業で『スイミー』を読むとき、ただページをめくるだけでは終わらせません。途中で子どもたちに「もし君がスイミーなら、次にどうする?」と問いかけます。

最初は戸惑っていた子も、やがて一人が「隠れてしまうかも」と答えると、次々に手が上がります。「探しに行く」「泣くと思う」「誰かを助けたい」…。

この瞬間、教室には物語と現実を結ぶ一体感が生まれます。語りの力とは、答えを教えるのではなく、子ども自身の中にある“答えの芽”を見つけさせることだと感じます。

家庭で取り入れる実践ヒント

家庭でも『スイミー』の世界を活かすことができます。 絵本を読み終えたあと、「あなたがスイミーだったらどうした?」と一言聞いてみてください。

そこから自然と対話が生まれます。 家族それぞれの“役割”を魚に例えてみましょう。「お父さんはしっかり泳ぐ尾びれ」「お母さんはバランスをとるひれ」などと話すと、子どもの自己肯定感が高まります。

一日の終わりに「今日のスイミーからの発見」を話し合う習慣をつくるのもおすすめです。小さな気づきが、やがて大きな成長へつながります。

✅ まとめポイント

  • 「ちがい」から始まる旅——スイミーの黒い体が語ること
  • 黒い体のスイミー——“ちがい”と“ひとりの時間”
  • 海底での出会い——心を耕す命たち
  • 岩陰の仲間たちへ——「出ておいで」の呼びかけ

まとめ:語り手として、スイミーの“目”でありたい

現場からのひとこと

6年生の教室。読み語りを終えると、子どもたちが机の上の 小さな魚のシールを手に取り始めました。 誰が指示したわけでもなく、黒板の前に貼った海の紙を見て、自然に体が動いたようでした。

前列の男の子が、赤い魚のシールを指先でつまみ、黒板の左上に貼りました。 貼ったあと、少し離れて眺めてから、「ここ、背びれにしよう」 とぼそっと言いました。

その声に反応した別の子が、青い魚のシールを持って黒板に近づき、「目はここ。前、見るとこだから」 と言いながら、中央の少し上にそっと貼りました。

後ろの席の子は、机の上で魚のシールを並べてから、一枚を手に取り、黒板の右側へ歩いていきました。 貼りながら、「みんなでつくれば、マグロに勝てるんだよね」とつぶやきました。

その瞬間、前列の女の子が貼られたシールの位置を少し寄せながら、「一人じゃ無理だけど、みんなならいけるってことだよね」と短く返しました。

黒板の前には、背びれ、胸びれ、尾びれ、目―― 子どもたちが貼った魚のシールが、少しずつ “大きな魚の形” を作り始めていました。

子どもたちは、誰かの顔色をうかがうでもなく、先生の反応を求めるでもなく、ただ自分の手で、「役割には意味がある」「一つになると怖くない」「みんなでやれば進める」という実感を黒板の上に置いていきました。

その場の空気は、「役割をどうする?」という話し合いではなく、自分の生活に根をおろした“気づきの時間”でした。

私はその様子を見ながら、「語り手は、子どもが前を見られるように、そっと灯りを置く存在でありたい」と思いました。

語り手としての願い

『スイミー』を読むたびに、私は語り手として「スイミーの目」になりたいと思います。それは、子ども一人ひとりの成長を見守りながら、違う意見や感じ方の美しさを伝えることです。

物語の中のスイミーのように、私たち大人もまた“目”となり、子どもたちが安心して泳げる社会を照らす存在でありたい。絵本にはそんな願いを形にする力があります。

実践のヒント

仲間の役割を、自分や友だち、家族になぞらえて考える。

  • 「ぼくは“しっぽ”になる。みんなを支えるのが好きだから」
  • 「わたしは“ひれ”かな。みんなが進む方向を助けたい」
  • 「○○ちゃんは“体”だと思う。いつも真ん中でみんなをまとめてる」

読み終えた後に、「今日のスイミーからの発見」を一人ずつ言葉にする。

こうした工夫により、『スイミー』は単なる物語ではなく、子どもの心をひらく学びの場になります。そして大人自身もまた、自分の違いや仲間の存在に気づかされるのです。

まとめの締め

私はこれからも、子どもたちと共に泳ぐ一匹のスイミーとして、この物語を語り継ぎ、希望の光を届けていきたいと思います。

※本記事は著者の体験・見解に基づく情報提供を目的としています。実践の際は各現場の状況や子どもの発達段階に合わせてご活用ください。

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