📌 本記事は著者の55年以上の演劇・語り芝居の現場体験に基づく個人の見解です。実践の際は各現場の状況に合わせてご活用ください。
✅ この記事でわかること
- はじめにSNSや動画に触れる現代の子どもたち
- 「花咲か爺さん」は、ご利益話だけではない
- 「花咲か爺さん」あらすじ
- 白い犬・シロは「ラッキーキャラ」ではない
劇あそびの現場で見えた「承認欲求」の姿
🎭 「悪い爺さんをやりたい!」──子どもが悪役に惹かれる理由
劇あそびで「花咲か爺さん」をやろうと提案したとき、子どもたちが真っ先に言ったのは「悪い爺さんがやりたい!」という声でした。5歳の男の子が「ぼく、灰をまいてドロドロにしたい」と目を輝かせていて、私は思わず笑ってしまいました。
その子に思い切り悪い爺さんを演じさせてみると、灰をまく仕草がとても生き生きとしていました。善い爺さん役の子が「なんかあっちのほうが楽しそう」と言い出すほどでした。悪役をやりたがる気持ちの中には、「目立ちたい」「やってみたい」「思い切りやっていい」という承認への渇望が詰まっています。それは決して悪いことではなく、子どもの豊かなエネルギーの現れです。
⚠ この体験談は仮のものです。実際のご記憶に修正・加筆してください。
🎭 「静かな場面」で変わった子──承認欲求の強い子の成長
毎回「見て見て」と大きな声を出し、他の子の発表中に割り込んでしまう6歳の男の子がいました。その子に「花咲か爺さん」の主役(善い爺さん)をお願いしたとき、最初は張り切り過ぎて声が大きすぎました。
ところが、愛犬シロが死ぬ場面になったとき、子どもたちが自然と静まり返りました。その空気に引っ張られるように、その子も声を小さくして演じていたのです。終演後、「あの静かな場面が一番よかった」という声が上がりました。その言葉を聞いたとき、「静かにする」という表現方法を、その子が初めて自分のものにした瞬間だと感じました。承認は、大きな声だけで得られるわけではないのだと、子どもたちは劇の中で学んでいきます。
⚠ この体験談は仮のものです。実際のご記憶に修正・加筆してください。
はじめにSNSや動画に触れる現代の子どもたち
✳︎SNSや動画に触れる現代の子どもたち
長年、日本の昔話を子どもたちに語る活動を続けてきましたが、ここ数年、子ども達は昔話絵本を読もうとしても、なかなか物語の世界に入っていけない様子が見られます。
「昔話って昔のことでしょ!なんか古くてつまらない」「絵本より動画のほうがいい」。そんな声が増えてきました。
朝、登園した2歳児が友達と話していました。「きのう、ユウーチューブ、見た?」「うん、見た。あれ、バズってるよね!」
園庭を見ると、元気に遊ぶ子もいれば、運動場の片隅で短い動画やゲームに夢中になっている子もいます。もちろん園ではゲーム持ち込みは禁止ですが、家庭で触れる時間は確実に増えています。
子どもたちが物語をゆっくり味わう時間は細切れになり、絵本を「ぱらぱらと見るだけ」になっているように感じます。
そこで私は問い直しました。
子どもたちの“バズりたい気持ち”と昔話の世界は、本当に相性が悪いのだろうか?」その問いをもとに、『花咲か爺さん』をごっこ遊びで追体験する実践を行い、見えてきたことをまとめました。
子どもの「バズりたい」は、ただの目立ちたがりではありません

子どもたちは“つながりたい気持ち”を持っている
最近の子どもたちと話していると、
- クラスで話題になりたい
- 仲間外れにされたくない
- 自分の考えを知ってほしい
そんな声をよく耳にします。
表面的にはSNSの「いいね」やスタンプへのこだわりに見えても、その奥には、「だれかとつながりたい」 「自分の存在を感じたい」という、ごく自然で健やかな願いがあります。
大人だって同じです。仕事や趣味の発信で小さな「バズり」を経験し、承認欲求を満たし、自信を育てています。だから、子どもの承認欲求だけを「悪いもの」と決めつける必要はありません。
大切なのは、「共感された瞬間」を子ども同士や保育者と一緒に振り返ること。その対話が、子どもの心を育てます。
「花咲か爺さん」は、ご利益話だけではない
💡 現場からのポイント
子どもたちが物語の中で「選択する場面」を体験すると、思考力・共感力・自己表現力が自然と育まれます。語り芝居は、答えを教えるのではなく、子ども自身が考える時間を生み出す場です。

犬のシロとの出会い・別れ・つながり直しの物語
昔話というと、
- 良いことをすれば良いことが返ってくる
- 悪いことをすれば悪い結果が待っている
という因果応報の物語として語られがちです。もちろん、その読み方も間違いではありません。しかし『花咲か爺さん』を丁寧に追っていくと、 もっと深い“関係の物語”が見えてきます。
それは、
「シロとどう出会い、どう別れ、どうつながり直したか」という、心の変化の物語です。
ここには、
- 人と動物
- 人と自然
- 人と“目に見えない何か”
との距離感を探ろうとする、日本独特の感性が流れています。
| 対象 | 活動内容 | 育つ力 |
|---|---|---|
| 保育園・幼稚園 | 読み聞かせ・人形劇 | 想像力・感情表現 |
| 小学校低学年 | 劇あそび・ごっこ遊び | 共感力・協調性 |
| 小学校高学年〜中学生 | 語り芝居・ミュージカル | 自己表現・意思決定力 |
「花咲か爺さん」あらすじ
焦点は「どこで心が動くか」
- 正直なお爺さんとお婆さんは、白い犬シロに導かれ、思いがけない恵みを受ける
- 欲張りなお爺さんが真似をしても上手くいかず、シロを傷つけてしまう
- シロを悼む気持ちから植えた木や臼、灰を通して再び不思議な恵みがもたらされる
- 正直なお爺さんは褒美を受けるが、それ以上に「シロとのつながり」を大切にしている
この記事では、 あらすじよりも「子どもがどこで立ち止まり、何を問い始めたか」 に焦点を当てます。
白い犬・シロは「ラッキーキャラ」ではない
子どもが感じる「消えない存在」

子ども達はどの場面で立ち止まり、どのような問いを口に出したか?
この記事では、このあらすじそのものよりも、「子どもたちがどの場面で立ち止まり、どんな問いを口にしたのか」に焦点を当てていきます。
読み聞かせの場面で「シロはどういう犬だと思う?」と尋ねると、「宝物を見つけてくれる犬!」 「うちにもシロほしい!」と元気な声が返ってきます。
ところが、ごっこ遊びでシロが倒れ、木になり、臼になり、灰になる場面を繰り返すと──「シロ、死んだのにまだいるみたい」 「絶対に死んでないよね」そんな声が増えていきました。
子どもたちにとってシロは、「見えないけれど確実に生きている存在」 へと変化していきます。
これは大人の言葉で言えば“象徴”ですが、 子どもは理屈ではなく、「かたちが変わっても続いている何か」 を直感で受け止めているのです。
ごっこ遊びで見えた「灰」と「心」のディスカッシヨン
ごっこ遊びの中に生まれる子どもの問い

ある幼稚園でのこと。読み聞かせの途中で、男の子が言いました。「まだ?もう遊んでいい?」耳では聞いていても、物語が体に落ちていない。 このままではシロの存在が届かないと感じ、 読み聞かせを止めてごっこ遊びに切り替えました。
「灰は同じなのに、なんで咲かないの?」
欲張り爺さん役の子が叫びました。「こっちの灰のほうがいっぱいなのに、なんで咲かないの?」“量を増やせば結果が出る”という現代的な発想。 周りの子も「そうだよ!」とうなずきます。
そのとき、正直爺さん役の子が静かに言いました。「灰は同じでも、まく人の心が違うからだよ」そこから議論が始まりました。
- 灰に心はあるのか
- 心はどこまで移るのか
- 気持ちは灰にくっつくのか
子どもたち自身の言葉で、 「灰は人の心がわかる」 という結論にたどり着きました。
「死んだのに、まだいるみたい」
子どもが感じる“つながりの継続”
シロ役の子が倒れる場面を演じたあと、 床に寝転んだまま言いました。「シロ、死んだよね。でも、まだここにいるよ」
「どこに?」と聞くと、「ここ(胸)とか、臼とか、灰とか…ぜんぶ!」と体のいろいろな場所を指さしました。
子どもたちは、 “存在の継続” を直感で理解しているのです。
桜が咲く場面で、子どもは「ご褒美」よりも「約束」を感じていました

ごっこ遊びで桜が咲く場面を作ったとき、 ある子が言いました。「シロが、ちゃんと見ていてくれたのよ」他の子も続きます。
「お爺さんがしてくれたこと、シロは忘れなかった」 「だから返してくれたんだよね」 「約束だよね!」子どもたちは、 “約束が守られた感覚” を共有していました。
桜は日本では節目の象徴。「終わりと始まりがつながる花」です。
「バズる」は、心と心が一瞬でつながる体験
数字ではなく“反応の物語”を見る
SNSでは「バズる・バズらない」が数字で見えますが、 その裏には必ず、「どの言葉に、誰の心が反応したか」という物語があります。
正直爺さんは褒美のために灰を撒いたのではなく、「この木に生きてほしい」という願い を込めました。これはSNSで言えば、「この一人に届けばいい」という投稿に近い。
数字ではなく、 心と心がかみ合った瞬間 に目を向けることが大切です。
✳︎輪になって話す子どもたち
✅ まとめポイント
- ごっこ遊びで見えた「灰」と「心」のディスカッシヨン
- 「灰は同じなのに、なんで咲かないの?」
- 「死んだのに、まだいるみたい」
- 「バズる」は、心と心が一瞬でつながる体験
まとめ|子どもの「バズりたい気持ちと昔話をつなぐために
『花咲か爺さん』をごっこ遊びで繰り返すと、 子どもたちは、
- 同じ灰なのに結果が違うのはなぜ?
- 死んだのに、まだいる感じがするのはなぜ?
といった問いを自分の言葉で投げかけてきます。
それは、「自分ならどうするか」「この気持ちを誰と共有したいか」を探る行為です。大人ができるのは、意味を教え込むことではなく、子どもが立ち止まった瞬間に寄り添い、「どう感じた?」と問い返すこと。
SNSが当たり前の時代だからこそ、 数字では測れない “心に花が咲く経験” を、昔話とごっこ遊びを通して積み重ねていきたいと思います。
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参考文献・資料
稲田和子・小澤俊夫編『日本の昔話百選』(岩波書店)
小澤俊夫『昔話の語法』(小澤昔ばなし研究所)
柳田國男『神と人との間』(岩波文庫)
筆者による語りとごっこ遊びの実践記より
※本記事は著者の体験・見解に基づく情報提供を目的としています。実践の際は各現場の状況や子どもの発達段階に合わせてご活用ください。


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