舞台で蘇る人魚姫:舞台づくりで特に苦労したこと

舞台

📌 本記事は著者の55年以上の演劇・語り芝居の現場体験に基づく個人の見解です。実践の際は各現場の状況に合わせてご活用ください。

✅ この記事でわかること

  • ディズニー映画はすごい!けれど、少し疑問が湧いてきました。
  • 舞台制作への第一歩 原作のテーマを伝える台本作り
  • アンデルセンの『人魚姫』は、自己犠牲と希望という深いテーマを持つ物語です。

アンデルセンの『人魚姫』映画を観たことで原作の深みに改めて向き合い、「舞台という形でこの物語を伝えたい」という強い思いが生まれました。

この記事では、『人魚姫』の映画と原作の違い、そして舞台版『人魚姫』はどのように作ったかをお知らせします。

 ディズニー映画はすごい!けれど、少し疑問が湧いてきました。

現場からのひとこと

『人魚姫』をミュージカルにするために台本を書いていたとき、私は結末をどうするかで長く立ち止まりました。

アンデルセンは人魚姫を泡にして終わらせた。けれど、55年の現場で私は、子どもは「泡になって終わり」を受け入れないことを知っていました。

稽古の読み合わせで、フィエル役の女の子が台本を閉じて言いました。

子ども:「フィエル、ナイフを捨てるだけじゃ足りないよ。魔女はまた誰かの声を奪うよ。」

その言葉に、周りの子が静かにうなずきました。誰も“正しさ”を語っていません。ただ、物語の痛点をまっすぐに見ている目でした。

私はその瞬間、結末を変える決心をしました。フィエルはナイフを海に捨てるのではなく、 魔女に向かって投げつける。誰かを傷つけるためではなく、「もう奪わせない」という、自分の意思の選択として。

初めてその場面を合わせたとき、フィエル役の子の腕がわずかに震えました。恐怖ではなく、自分の選択を自分の身体で引き受ける緊張でした。

ナイフが床に落ちた瞬間、教室の空気が変わりました。誰も拍手しない。誰も声を上げない。ただ、子どもたちの視線がフィエルの背中に吸い寄せられていました。

その後、天使の精に導かれて天に昇る場面を合わせたとき、別の子がぽつりと言いました。

子ども:「フィエル、泡にならなくてよかった。自分で選んだから、上に行けたんだよね。」

その一言で、私は確信しました。子どもは“救われる物語”より、“自分で選び取る物語”を信じる。だからこそ、アンデルセンが書かなかった結末を、子どもと一緒に創る意味があるのだと。

初めてディズニー映画『リトル・マーメイド』を観たとき、その華やかな世界観と音楽に圧倒されました。

しかし、映画が描くハッピーエンドに心が温かくなる一方で、昔読んだアンデルセンの『人魚姫』の記憶がよみがえり、“本来の物語の持つ切なさや葛藤も伝えたい”と舞台制作への思いがふくらみました。

現場で子どもたちが示した「選択の重さ」への感受性を思い出したとき、私は映画の美しさだけでは届かない“原作の痛点”をもう一度掘り起こす必要を感じました。

魔女の描き方に疑問

私自身、舞台で魔女を登場させる際には、“善悪の単純な対立”ではなく、人魚姫が魂について考え始めるきっかけとなる奥深い存在として描くことにこだわりました。

リハーサルでは、「魔女をただの悪役ではなく、人魚姫を成長に導く役割にしたい」と俳優たちと何度も話し合いました。

ディズニー映画だから仕方ないよね、と思いながらも原作を忠実に描きたいという強い気持ちを抑えることはできません。

それには、魔女の役割をきちんと解釈して舞台化する必要があると考えました。

ハッピーエンドに違和感が・・・

映画『リトル・マーメイド』のハッピーエンドは、ディズニー映画の愛の王道と言えるでしょう。

しかし、原作『人魚姫』には、叶わない愛や自己犠牲というテーマが深く描かれています。

原作の持つ切なさや哲学的なメッセージを伝えるためには、原作通り、愛の葛藤を伝える必要があると思いました。

舞台制作への第一歩 原作のテーマを伝える台本作り

現場からのひとこと

六年生の稽古で『人魚姫』の原作を読み合わせていたときのことです。

フィエルが声を奪われる場面を読み終えた瞬間、ひとりの男の子が台本を閉じました。その子は普段、感想を言うタイプでありません。

しばらく沈黙したあと、彼は静かに言いました。

子ども:「フィエル、声を取られたまま終わるのは違うと思う。だって、自分のことなのに、自分で選べてないじゃん。」

その言葉に、周りの子が一斉に顔を上げました。誰も“正しさ”を語っていません。ただ、物語の痛いところをまっすぐ見ている目でした。

別の子が続けます。

子どもA:「魔女に勝つとかじゃなくてさ……フィエルが“どうしたいか”を自分で決めないと、物語にならないよ。」

子どもB:「泡になって終わるのは、フィエルが選んだんじゃないよね。それじゃ、気持ちが残る。」

その瞬間、私は悟りました。台本は“原作をなぞるため”ではなく、子どもが自分で選べる場面をつくるために書くのだ、と。

フィエルがナイフを魔女に投げつける結末は、大人の都合ではなく、子どもが物語の中で「自分ならこうする」と選び取った判断の延長線上にある。

その判断が生まれた瞬間、稽古場の空気は静かに張りつめ、子どもたちの視線はフィエルの行動の“意味”に向かっていました。

この緊張感こそが、台本づくりの出発点でした。

💡 現場からのポイント

子どもたちが物語の中で「選択する場面」を体験すると、思考力・共感力・自己表現力が自然と育まれます。語り芝居は、答えを教えるのではなく、子ども自身が考える時間を生み出す場です。

どんな台本にしたのか知りたいね

舞台化を決心した最大の理由は、原作が伝えようとする「報われない愛」や「自己犠牲の尊さ」を、自分の言葉で届けたかったからです。

実際の台本づくりでは、予算の制約を逆手に取り、海底の世界に特化したシンプルな舞台セットと、俳優一人ひとりの表現力を最大限に引き出す演出に挑戦しました。

低予算で深みのある舞台を作る台本 場面は海底のみ

私たちの劇団は少人数制。稽古場にはいつも3人の仲間と、最低限の照明と音響機材しかありませんでした。その制約が、逆に創造性を高める絶好の機会になりました。

ドレープカーテンを「海」に見立てて工夫し、俳優の歌と身体表現だけで深海の広がりを観客に感じてもらう演出を考案しました。

人魚姫に名前をつける。 我が劇団は「フィエル」に決定!

舞台で主人公の人魚姫を演じるにあたり、どうしても彼女に“名前”を付けたくなりました。

孫娘の名前から着想を得て「フィエル」と名付け、その名が舞台の台詞や歌になじむよう、稽古中も何度も口に出してみたことをよく覚えています。

自分たちだけの“物語の主”を生み出す作業は、本当に楽しい時間でした。

人魚には魂が無い、フィエルは魂が欲しい場面は歌と踊りで表現する

人間には魂があり、魂は永遠だというのがアンデルセンの思想です。

ところが、アンデルセンが描く人魚達は魂を持っていません。フィエルは、人間の魂を欲しいと思っている。

ここが他の人魚達と決定的に違うところです。台本作りで絶対に外してはいけないところですが、どう表現するのか困ってしまいますよね。

どうしようと困ったシーンは歌と踊りのシーンを作れば、たいていはうまくいくものです。

人魚に魂がないこと、フィエルは魂を欲しがっていることをフィエルとエンジェルの歌と踊りのナンバーで表現しました。

エンジェル「天界は美しい魂が住むところ きれいな花が咲き 良い香りが満ち 憎しみも哀れみ争いもない 親のない子もこのない親も 愛の光に包まれて 幸せ」

フィエル「人間だけが行くところ、人魚は行けないの?わたしは人魚、魂がない」

エンジェル「神様を尋ねるのよ。答えが与えられるわ」

フィエル「エンジェル、答えにならないわ!人間の魂が欲しいの。人間になって王子様のところに行きたいの!神様なんてあてにできない。魔女に頼むわ!」

魔女に会いに行く前に、このシーンを入れておけば魔女の存在は神と反対側にあることが観客に良く伝わります。

物語の案内人のキャラクターを作るとうまくいく その名は「エンジェル」

低予算で物語を展開する際にストーリテラーの役割をする人物を作るとうまく流れます。私はエンジェルという原作にはないキャラクターを作りました。

エンジェルは、人魚姫の幸せを願う天の使い。海底にも城にも魔女の住む場所にも自由に行ける存在です。フィエルだけがエンジェルと話すことができます。

✴︎壇上にいるのが天霊エンジェル「わたしは天からきました。フィエルを助けるために」劇団天童舞台より。

✴︎人魚の娘達には天霊エンジェルの姿が見えない。劇団天童舞台より。

エンジェル「ここは海の底、人魚の王国。王様、おばあさま、人魚やさかな達が楽しく歌って踊っています。皆さまを海の底にご案内しましょう」

セリフ終わりの3秒くらい前から海底の王国のダンスシーンの音楽を流し、ミュージカルナンバー「人魚の国は素晴らしい!」(人魚の国の人たちの歌)に続きます。

魚達「ここは海の底 夢の国 人魚の王国 魚は飛ぶし 木も揺らぐ 歌って踊って 楽しい暮らし 哀しいことは何もない」

フィエル「哀しいこともあるわ」

人魚達「人魚は泣かない 涙がないから」

フィエル「人間は泣くの?涙があるの?」

人魚達「人魚の命は300年、人間の命は80年。これだけ生きれば満足さ、泡になっておしまい、墓もない。誰も覚えちゃいないのさ、海の上を漂うのさ」

フィエル「泡になっておしまい?人間もおしまいなの?」

人魚達「余計なことは考えず、人魚の暮らしを楽しもう。ブラボー ブラボー ブラボー ブラボー ブラボー ブラボー

フィエルは未知の世界を見たい。人魚達は人間の世界などつまらないと思っている。その違いを歌と踊りで表現してみました。

魔女の役割は何か?人魚姫に魂とは何かを気づかせる存在

 

魔女はどういう存在として描いたのかね

 

人魚姫に「魂とは何か」を気づかせる存在です

 

魔女をどう描くかがいちばん難しい。善か悪かと簡単に決められる存在ではありません。

魔女は、人魚姫の美しい声と人間の足と引き換えにするという厳しい条件を突きつけます。

この場面も芝居ぶりの歌で表現。エンジェルを登場させました。

魔女、フィエル、エンジェルの3人が激しく歌い上げて緊迫感を盛り上げる

エンジェル「フィエル、声をあげてはいけない 言葉には魂があるから」

フィエル「王子様と結婚するの。人間になれば魂がもらえる。声がなくてもわかってくれるわ」

魔女「魅力溢れるその目で王子の心をつかめるさ。声などなんでもないよ」

エンジェル「声には魂がある、神が宿っている」

フィエル「人間になりたい、王子様と結婚したいの。邪魔をしないでエンジェル!」

魔女「いひひひ、舌をお出し」

声を売るってどういうことか。言霊を売った

声を売ってしまった人魚姫。人間の足を2本もらったけれど、歩くたびに錐で刺されるように痛い。 王子を救ったのは自分だと言いたいのに声が出ない。

「いちばん大事なことを、いちばん大事な人に伝えられない」 これほど苦しいことがあるでしょうか。

愛する人と結婚するためには魔女と取引しても良いと考えたのでしょうか。アンデルセン自身の報われなかった愛のことを語っているのかもしれません。

台本を書きながら切なくなりました。

魔女のキャラクター 真っ黒な衣装、蛇を操る魔女軍団

魔女を悪魔として描きました。魔女は人間だけが持っている言葉が欲しかった。何千年も海の底で気味悪い手下どもと暮らしている魔女も人間になりたかったのではないか。

舞台には海の底に蠢く魔女軍団を登場させ、歌と動きで表現しました。

魔女はアルトの男性俳優に演じてもらいました。

✴︎蛇を操る魔女(中央)と魔女軍団 エンジェル(白い衣装)王子を刺せ!」と迫る魔女

この場面は作品の中で最も大事なシーン。歌と芝居ぶりのナンバーで表現します。

おばあさま「東の空に光がさしてきた。夜が明けたらおまえは泡、王子を刺して戻っておいで」

フィエル「結婚もない、魂もない。死んで泡になるのは哀しいけれど、王子様を愛していた心から。だから刺せない、わたしには刺せない」

魔女「刺せ!刺せ!王子を殺せ、愛を壊すのだ」

エンジェル「王子を刺してはいけない。愛をつらぬくのよ」

このような激しい歌のやりとりの後にフィエルが静かに歌います。

フィエル「おばあさま、ごめんなさい。あんなに愛してくださったのに。さようなら王子様、わたしの愛は届かなかった。泡になって消えていくけれど愛をつらぬくわ」

この後、キリッとした表情になって魔女に向かって歌います。

フィエル「あなたに声を売るなんて愚かだった。もう、あなたのいう通りにはならない。王子様を刺さない。ナイフはこのとおり!えいっ」

フィエルは、舞台後方にうごめく魔女軍団に向かってナイフを投げます。

真っ赤な照明を激しく点滅させる。魔女の断末魔の声。観客は息を呑んで舞台を見つめます。

魔女はどうなったの?

消えました!

フィエルの投げたナイフで魔女は消えた!天界へ行くフィエル

この後、舞台は一転して神々しい光に包まれて、白い衣装の空気の精がフィエルを天界に導きます。

ここで終わってしまうと尻切れとんぼになるため、フィエルとエンジェルの会話のあとに二人の歌を置き、歌の余韻の中で幕を下ろしました。

フィエル「ここはどこ?」

エンジェル「天の国よ」

フィエル「わたし、死んで泡になってしまったのでしょう?」

エンジェル「いいえ、生きているわ。王子を刺せば元の人魚に戻れるのに刺さなかった。自分を捨てて人の命を救った時、その人の魂は天に行くのよ」

アンデルセンが『人魚姫』で伝えたかったのは、 自分の幸せよりも、誰かの命を守ろうとする心の強さだと思います。

自己犠牲という言葉には、どうしても重さや苦しさがつきまとい、読者も身構えてしまいます。けれど、アンデルセンは“苦しみを強要するため”に自己犠牲を書いたわけではありません。

彼の背景にはキリスト教の信仰があり、人魚姫が最後に天へ導かれる場面は、その信仰に基づく「救いの物語」として描かれたものです。

 

物語の最後。人魚姫が天界に導かれるシーン。空気の精達がやってきて人魚姫を天界に誘ったね。ほっとしたよ。

この場面を描いた舞台や絵本、あまり見かけないからね。

そう言っていただいてうれしいです!

アンデルセンは人魚姫を通じて、愛とは何か、自己犠牲とは何かという哲学的な問いを読者に投げかけます。

アンデルセンの『人魚姫』には、愛と自己犠牲、そして希望というテーマが込められています。

その物語の核心は、現代の私たちにも大切なメッセージを伝えてくれます。

アンデルセンの足跡を辿る旅

私はデンマークを訪れ、アンデルセンの足跡を辿りました。コペンハーゲンに佇む人魚姫像を目の当たりにしたとき、原作が持つ静かな感動と、アンデルセンが描こうとした心の深さを実感しました。

✅ まとめポイント

  • ディズニー映画はすごい!けれど、少し疑問が湧いてきました。
  • 舞台制作への第一歩 原作のテーマを伝える台本作り
対象 活動内容 育つ力
保育園・幼稚園 読み聞かせ・人形劇 想像力・感情表現
小学校低学年 劇あそび・ごっこ遊び 共感力・協調性
小学校高学年〜中学生 語り芝居・ミュージカル 自己表現・意思決定力

まとめ

現場からのひとこと

空気の精がフィエルを天界へ導く場面を合わせたとき、子どもたちは一斉に身体を前へ寄せました。

全身で物語に入り込み、息の使い方まで変わる“子ども特有の感動の仕方”でした。

ひとりの子は、足の指まで力が入ったまま動きを止め、別の子は、胸の前でそっと手を握りしめていました。

その集中の仕方を見た瞬間、私は胸が詰まりました。

大人のように「理解して感動する」のではなく、子どもは、物語の意味に触れたとき、身体が先に反応する。

その姿を見て、私ははっきり思いました。

子どもはすごい。アンデルセンの物語は、子どもに渡して初めて本当の姿を見せる。

その感動の余韻を途切れさせないために、フィエルとエンジェルの会話のあとに二人の歌を置きました。

子どもたちの声が導きの場面と自然に重なり、 物語が静かに着地したところで幕を下ろしました。

あの瞬間、子どもたちの反応を見て、私たちが積み上げてきた舞台づくり全体の意味がはっきりと見えました。

自分たちが作った舞台では、原作への敬意と映画から受けた刺激、そして自分自身の体験が見事に融合できたと感じています。

制作を通して、“伝えたい想い”と“限られた資源”が重なったとき、物語は一層深く表現できることを実感しました。

今、振り返れば、「工夫」と「仲間」で乗り越えた日々が、私にとって一生の宝物です。

「人魚姫」の舞台制作に挑戦した経験がお役に立てればうれしいです。

台本も音楽もあります。ご関心がある方はお問い合わせください。

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※本記事は著者の体験・見解に基づく情報提供を目的としています。実践の際は各現場の状況や子どもの発達段階に合わせてご活用ください。

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