舞台で蘇る人魚姫:私が体験した、愛と希望のステージづくりの記録

ミュージカルと演劇

アンデルセンの『人魚姫』は、自己犠牲と希望という深いテーマを持つ物語です。映画を観たことで原作の深みに改めて向き合い、「舞台という形でこの物語を伝えたい」という強い思いが生まれました。この記事では、『人魚姫』の映画と原作の違い、そして舞台版『人魚姫』はどのように作ったかをお知らせします。

 ディズニー映画はすごい!けれど、少し疑問が湧いてきました。

初めてディズニー映画『リトル・マーメイド』を観たとき、その華やかな世界観と音楽に圧倒されました。しかし、映画が描くハッピーエンドに心が温かくなる一方で、昔読んだアンデルセンの『人魚姫』の記憶がよみがえり、“本来の物語の持つ切なさや葛藤も伝えたい”と舞台制作への思いがふくらみました。

魔女の描き方に疑問

私自身、舞台で魔女を登場させる際には、“善悪の単純な対立”ではなく、人魚姫が魂について考え始めるきっかけとなる奥深い存在として描くことにこだわりました。リハーサルでは、「魔女をただの悪役ではなく、人魚姫を成長に導く役割にしたい」と俳優たちと何度も話し合いました。

ディズニー映画だから仕方ないよね、と思いながらも原作を忠実に描きたいという強い気持ちを抑えることはできません。それには、魔女の役割をきちんと解釈して舞台化する必要があると考えました。

ハッピイエンドに違和感が・・・

映画『リトル・マーメイド』のハッピーエンドは、ディズニー映画の愛の王道と言えるでしょう。しかし、原作『人魚姫』には、叶わない愛や自己犠牲というテーマが深く描かれています。原作の持つ切なさや哲学的なメッセージを伝えることを目指すなら、原作通り、愛の葛藤を伝える必要があると思いました。

舞台制作への第一歩 原作のテーマを伝える台本作り

どんな台本にしたのか知りたいね

舞台化を決心した最大の理由は、原作が伝えようとする「報われない愛」や「自己犠牲の尊さ」を、自分の言葉で届けたかったからです。実際の台本づくりでは、予算の制約を逆手に取り、海底の世界に特化したシンプルな舞台セットと、俳優一人ひとりの表現力を最大限に引き出す演出に挑戦しました。

低予算で深みのある舞台を作る台本 場面は海底のみ

私たちの劇団は少人数制。稽古場にはいつも3人の仲間と、最低限の照明と音響機材しかありませんでした。その制約が、逆に創造性を高める絶好の機会になりました。ドレープカーテンを「海」に見立てて工夫し、俳優の歌と身体表現だけで深海の広がりを観客に感じてもらう演出を考案しました。

人魚姫に名前をつける 我が劇団はフィエルに決定!

舞台で主人公の人魚姫を演じるにあたり、どうしても彼女に“名前”を付けたくなりました。孫娘の名前から着想を得て「フィエル」と名付け、その名が舞台の台詞や歌になじむよう、稽古中も何度も口に出してみたことをよく覚えています。自分たちだけの“物語の主”を生み出す作業は、本当に楽しい時間でした。

人魚には魂が無い、フィエルは魂が欲しい場面は歌と踊りで表現する

人間には魂があり、魂は永遠だというのがアンデルセンの思想です。ところが、アンデルセンが描く人魚達は魂を持っていません。フィエルは、人間の魂を欲しいと思っている。ここが他の人魚達と決定的に違うところです。台本作りで絶対に外してはいけないところですが、どう表現するのか困ってしますよね。ところが、どうしようと困ったシーンは歌と踊りのシーンを作れば、たいがいはうまくいくのでご安心ください。

人魚に魂がないこと、フィエルは魂を欲しがっていることをフィエルとエンジェルの歌と踊りのナンバーで表現しました。エンジェル「天界は美しい魂が住むところ きれいな花が咲き 良い香りが満ち 憎しみも哀れみ争いもない 親のない子もこのない親も 愛の光に包まれて 幸せ」フィエル「人間だけが行くところ?人魚は行けないの?わたしは人魚 魂がない」フィエル「神様を尋ねるのよ 答えが与えられるわ」フィエル「エンジェル、答えにならないわ!人間の魂が欲しいの。人間になって王子様のところに行きたいの!神様なんてあてにできない。魔女に頼むわ!」

魔女に会いに行く前に、このシーンを入れておけば魔女の存在は神と反対側にあることが観客に良く伝わります。

物語の案内人のキャラクターを作るとうまくいく その名はエンジェル

低予算で物語を展開する際にストーリテラーの役割をする人物を作るとうまく流れます。私は、エンジェルという原作にはないキャラクターを作りました。エンジェルは、人魚姫の幸せを願う神の使いとして設定しました。

壇上にいるのがエンジェル「わたしは天からきました。フィエルを助けるために」 驚く語り手。

Screenshot

誰かがいるらしい。人の気配を感じるが人魚の娘達には姿が見えない。

海の底の人魚の王国に行ったり、魔女の住む恐ろしい海の底にも王子のいる城ににも自由に行くことができます。エンジェルですからね。エンジェルと話せるのは人魚姫のフィエルだけ。エンジェルのような物語を展開するキャラクターはとても役に立ちますのでおすすめです!

エンジェルのセリフ「ここは海の底、人魚の王国。王様、おばあさま、人魚やさかな達が楽しく歌って踊っています。皆さまを海の底にご案内しましょう」セリフ終わりの3秒くらい前から海底の王国のダンスシーンの音楽を流し、ミュージカルナンバー「人魚の国は素晴らしい!」(人魚の国の人たちの歌)に続きます。

魚達「ここは海の底 夢の国 人魚の王国 魚は飛ぶし 木も揺らぐ 歌って踊って 楽しい暮らし 哀しいことは何もない」フィエル「哀しいこともあるわ」人魚達「人魚は泣かない 涙がないから」フィエル「人間は泣くの?涙があるの?」人魚達「人魚の命は300年 人間の命は80年 これだけ生きれば満足さ 泡になっておしまい 墓もない 誰も覚えちゃいないのさ 海の上を漂うのさ」フィエル「泡になっておしまい?人間もおしまいなの?」人魚達「余計なことは考えず 人魚の暮らしを楽しもう ブラボー ブラボー ブラボー ブラボー ブラボー ブラボー

フィエルは未知の世界を見たい。人魚達は人間の世界などつまらないと思っている。その違いを歌と踊りで表現してみました。アンデルセンの作品はミュージカル舞台にするのが的していると思います。

魔女の役割は何か?人魚姫に魂とは何かを気づかせる存在

 

魔女はどういう存在として描いたのかね

声をあげることは魂を売ることだと気づかせる存在

魔女をどう描くかがいちばん難しい。善か悪かと簡単に決められる存在ではありません。魔女は、人魚姫の美しい声と人間の足と引き換えにするという厳しい条件を突きつけます。この場面も芝居ぶりの歌で表現します。この場面でもエンジェルを登場させました。

魔女、フィエル、エンジェルの3人が激しく歌い上げて緊迫感を盛り上げる

エンジェル「フィエル、声をあげてはいけない 言葉には魂があるから」フィエル「王子様と結婚するの 人間になれば魂がもらえる 声がなくてもわかってくれるわ」魔女「魅力溢れるその目で王子の心をつかめるさ 声などなんでもないよ」エンジェル「声には魂がある 神が宿っている」フィエル「人間になりたい 王子様と結婚したいの 邪魔しないでエンジェル!」魔女「いひひひ 舌をお出し」

声を売るってどういこと?言霊を売った

声を売ってしまった人魚姫.人間の足を2本もらったけれど、歩くたびに錐で刺されるように痛い。王子を救ったのは自分だと言いたいのに声が出ない。いちばん大事なことをいちばん大事な人に伝えたいのに伝えられない。こんな苦しいことがあるでしょうか。

愛する人と結婚するためには魔女と取引しても良いと考えたのでしょうか。アンデルセン自身の報われなかった愛のことを語っているのかもしれません。台本を書きながら切なくなりました。

魔女のキャラクターは?真っ黒な衣装に身を包み、作り物の蛇を動かす

私は魔女を悪魔として描きました。魔女は人間だけが持っている言葉を欲しかった。何千年も海の底で気味悪い手下供と暮らしている魔女も人間になりたかったのではないか。舞台には海の底に蠢く魔女軍団を登場させました。歌と動きで表現しました。魔女はアルトの男性俳優に演じてもらいました。

蛇を操る魔女(中央)と魔女軍団 エンジェル(白い衣装)王子を刺せ!」と迫る魔女。

この場面は作品の中で最も大事なシーン。歌と芝居ぶりのナンバーで表現します。おばあさま「東の空に光がさしてきた 夜が明けたらおまえは泡 王子を刺して戻っておいで」フィエル「結婚もない 魂もない 死んで泡になるのは哀しいけれど 王子様を愛していた 心から だから刺せない わたしには刺せない」魔女「刺せ!刺せ!王子を殺せ 愛を壊すのだ」エンジェル「王子を刺してはいけない 愛をつらぬくのよ」と諭すエンジェル。

このような激しい歌のやりとりの後にフィエルが静かに歌います。「おばあさま、ごめんなさい。 あんなに愛してくださったのに。さようなら王子様、わたしの愛は届かなかった。泡になって消えていくけれど愛をつらぬくわ」この後、キリッとした表情になって魔女に向かって歌います。「あなたに声を売るなんて愚かだった。もう、あなたのいう通りにはならない。王子様を刺さない。ナイフはこのとおり!えいっ」フィエルは、舞台後方にうごめく魔女軍団に向かってナイフを投げます。

真っ赤な照明を激しく点滅させる。魔女の断末魔の声。観客は息を呑んで舞台を見つめます。

魔女はどうなったの?

消えました!

フィエルの投げたナイフで魔女は消えた!天界へ行くフィエル

この後、舞台は一転して神々しい光に包まれて、白い衣装の空気の精がフィエルを天界に導きます。そこで終わってしまったら、なんだか尻切れとんぼになってしまいます。私は、フィエルとエンジェルの会話の後に二人が歌いあげて幕を下ろしました。

フィエル「ここはどこ?」エンジェル「天の国よ」フィエル「わたし、死んで泡になってしまったのでしょう?」エンジェル「いいえ、生きているわ。王子を刺せば元の人魚に戻れるのに刺さなかった。自分を捨てて人の命を救った時、その人の魂は天に行くのよ」

ミュージカル「人魚姫」でアンデルセンがいちばん伝えたいことは、究極の愛は自分を捨てて他を助けることだと思います。自己犠牲には重苦しい感じがつきまとい、しんどい気持ちになりますよね。アンデルセンは自己犠牲を強要しているのではありません。アンデルセンの信仰はキリスト教なので、天の国を作ってラストシーンにしました。

 

物語の最後。人魚姫が天界に導かれるシーン。空気の精達がやってきて人魚姫を天界に誘ったね。ほっとしたよ。この場面を描いた舞台や絵本、あまり見かけないからね。

そう言っていただいてうれしいです!

アンデルセンは人魚姫を通じて、愛とは何か、自己犠牲とは何かという哲学的な問いを読者に投げかけます。アンデルセンの『人魚姫』には、愛と自己犠牲、そして希望というテーマが込められています。その物語の核心は、現代の私たちにも大切なメッセージを伝えてくれます。

私はデンマークを訪れ、アンデルセンの足跡を辿る旅をしました。コペンハーゲンに佇む人魚姫像を目の当たりにしたとき、原作が持つ静かな感動と、アンデルセンが描こうとした心の深さを実感しました。

まとめ

自分たちが作った舞台では、原作への敬意と映画から受けた刺激、そして自分自身の体験が見事に融合できたと感じています。制作を通して、“伝えたい想い”と“限られた資源”が重なったとき、物語は一層深く表現できることを実感しました。今振り返れば、「工夫」と「仲間」で乗り越えた日々が、私にとって一生の宝物です。

「人魚姫」の舞台制作に挑戦した経験がお役に立てればうれしいです。「人魚姫」の台本も音楽もあります。ご関心がある方はお問い合わせください。お役に立てればと思います。

劇団天童 http://gekidantendou.com mail gekidantendou@gmail.com

 

 

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