📌 本記事は著者の55年以上の演劇・語り芝居の現場体験に基づく個人の見解です。実践の際は各現場の状況に合わせてご活用ください。
✅ この記事でわかること
- 演劇・語り芝居が子どもを変える5つの理由
- 実際に起きた変化の実話(5つのケース)
- 家庭・保育の現場で明日からできること
- 演劇と語り芝居が子どもを変える理由──55年の現場から見えたこと
- はじめにー子どもの“変化”は、物語の中で最も鮮やかに立ち上がる
- 劇団天童の歩み─物語が子どもの心を開く瞬間を見つめ続けて
- 演劇が子どもを変える5つの理由
- 現場からのひとこと──子どもが変わった3つの実話
- 声が出なかった子が“強がりの兄弟アヒルの子”を演じた日(小学2年)
- 演劇が子どもを変える5つの理由
- 【実話】声が出なかった子が“物語の力”で変わった日
- 【実話】学校に行けなかった子が“自分の声”を取り戻した日
- 【実話】感情表現が苦手だった子が「しっかり者のおばあさん」を演じたとき
- 【実話】言葉がつかえた男の子が「体で話せた日」
- 家庭・保育の現場でできる「はじめの一歩」
- 【まとめ】物語の中で子どもは“自分の力”に出会う
演劇と語り芝居が子どもを変える理由──55年の現場から見えたこと
はじめにー子どもの“変化”は、物語の中で最も鮮やかに立ち上がる
教育の現場に立っていると、子どもの変化はいつも突然ではなく、静かに、しかし確実に芽吹いていくものだと感じます。
その芽吹きの瞬間は、日常のざわめきの中では見えにくいこともありますが、物語の世界に子どもを招き入れたとき、その変化は驚くほど鮮明に姿を現します。
私は55年以上、劇団天童の現場で 物語教育 と 演劇の教育効果 を組み合わせた実践を続けてきました。
その中で出会った子どもたちの変化は、どれも“物語”という器があったからこそ 立ち上がったものばかりです。
劇団天童の歩み─物語が子どもの心を開く瞬間を見つめ続けて
劇団天童の稽古場には、いつも子どもたちの息づかいがありました。
走り回る音、台本をめくる音、泣き声、笑い声。そのすべてが子どもたちの“今”を映し出す大切な手がかりでした。
私たちが大切にしてきたのは、「役を演じること」ではなく、「役を通して自分を知ること」。
物語の世界に入ると、子どもは“自分ではない誰か”として生き始めます。
しかし、その“誰か”を生きるためには、自分の身体・声・感情と向き合わざるを得ません。
その過程で、子どもは自分の内側にある力に気づき始めます。
松戸市おはなしキャラバンで年間125回の公演を行い、保育園・小学校・公民館で多くの子どもたちと出会ってきました。
退職後、念願の劇団天童を立ち上げました。扱う題材は、日本の神話、昔話、アンデルセン童話、グリム童話、ドイツ・フランスの昔話。
作品は、『かぐや姫』『うりこ姫とあまんじゃく』『みにくいアヒルの子』『山椒太夫』『雪の女王』『人魚姫』など多岐にわたります。
子どもミュージカルクラスでは、表現力・思考力を育て、自信を持てる子どもたちを世の中に送り出してきました。
その中で何百回も目の前で起きたことがあります。
それは—— 「言葉にできなかった気持ち」が、物語と演劇を通して突然、声になる瞬間です。
演劇が子どもを変える5つの理由
役になることで「本音」が出せる
普段の自分では言えない気持ちも、「役としてなら言える」。この“安全な距離”が、子どもの内側にある本音をそっと外へ運びます。
失敗してもやり直せる「安全な場」
演劇の稽古には、何度でもやり直せる時間があります。「失敗しても大丈夫」という感覚が、子どもの心を軽くします。
仲間と作り上げる「達成感」
舞台は一人では作れません。「自分にも役割がある」「仲間とならできる」という実感が、自己肯定感の土台になります。
物語の中で感情を安全に体験する
悲しみ、怒り、怖さ、理不尽——現実では扱いにくい感情も、物語の中なら安全に体験できます。
自分を表現する「言葉」を見つける
演劇では「この場面でこのキャラクターはどんな気持ちか」を考えることが、子ども自身の感情を言葉にする練習になります。
現場からのひとこと──子どもが変わった3つの実話
声が出なかった子が“強がりの兄弟アヒルの子”を演じた日(小学2年)
| 現場からのひとこと
小学2年の男の子。普段は明るいのに、歌になると声が小さくなる子でした。 兄弟アヒルの子役を渡したとき、お母さんは心配しました。「この子、意地悪な役なんてできるのかな…」
◆ 最初の稽古
「みにくいアヒル〜♪」の一音が出ません。口は開くのに声が出ない。「歌うと変な声になっちゃう…」彼は小声で言いました。
しかし、ダンスのステップを教えると身体が先に動きました。 軽やかに跳ねるその動きは、兄弟アヒルの子の“強がり”そのものでした。
◆ 歌が出た瞬間
3回目の稽古。ステップを踏みながら、突然、「みにくいアヒル〜…」 と歌いました。身体が声を引っ張り出した瞬間でした。
◆本番
舞台の上で彼は堂々と歌いました。「みにくいアヒルの子 出て行け 出て行け」 観客がどよめくと、彼の顔がぱっと明るくなりました。
みにくいアヒルの子が泣きそうになる場面では、 彼の歌がほんの少し弱くなりました。 その“弱さ”が、兄弟アヒルの子の本当の気持ちを表していました。
◆ 終演後
お母さんは涙ぐみながら言いました。「家で、“今日ね、歌ったんだよ”って自分から言ったんです。 初めてで…」
学校の先生も驚いていました。「音楽の時間に、自分から声を出すようになりましたよ!」
兄弟アヒルの子を演じたことで、彼は“声を出す怖さ”を越えたのです。
学校に行けなかった子が“オオカミの息”を取り戻した日(小学3年)
| 現場からのひとこと
稽古場の扉が静かに開き、男の子が母親の背中に隠れるように入ってきました。 靴を脱ぐ手は震え、目線は床の一点だけ。
「学校に行けない日が続いていて…」とお母さん。
初日は部屋の隅に座ったまま動かず、声をかけても小さくうなずくだけでした。
◆ 稽古が始まると
他の子の動きをじっと見つめる姿に、小さな興味の火がありました。
転機は「三びきのこぶた」のオオカミ役。 最初は「…ふ…」と息が漏れるだけでした。
「すごいね、声が出たね。もうひと吹きやってみようか」 そう声をかけると、
彼は頬をふくらませて 「ふうーっ!」と声を出しました。その瞬間、目がぱっと上がりました。
◆ 本番
舞台中央で大きく息を吸い込み、「フーッ!!」 客席の一番後ろまで届く声でした。観客のどよめきとともに、彼の身体がすっと伸びました。
◆ 終演後の変化
「次の稽古、いつ?」 まっすぐ私を見て言いました。
その日を境に——
- 隅に座らなくなった
- 目線が上がった
- 歩くスピードが変わった
- 仲間の会話に耳を向けるようになった
- 自分から「やりたい」と言えるようになった
お母さんは言いました。「朝、“行ってきます”が元気になりました。学校へ向かう足取りが軽いんです。
担任の先生も驚いていました。「発表のときに手を挙げるようになりました。」
舞台で“自分を肯定できたこと”が、彼の日常を変えたのです。
落ち着かなかった子が“ネズミの役”で自分を肯定できた日(5歳)
| 現場からのひとこと
稽古場に来た6歳の男の子は、座っていても足が揺れ、立っていても手が動き、気持ちが常に外へ飛び出してしまうタイプの子でした。
保育園の先生は困り顔で言いました。「集中が続かなくて…みんなと同じ場にいるのが難しいんです。」
稽古場でも同じでした。他の子が台詞を練習している横で突然ジャンプしたり走り出したり、まるで身体の中に“止まらないエンジン”があるようでした。
◆ ネズミ役を渡した瞬間、彼の動きが“意味”を持ち始めた
彼に渡したのは「ネズミ」の役。 理由はひとつ。 ——ネズミは、動いていい役だから。
「ネズミはね、ちょこちょこ動くんだよ」 そう伝えた瞬間、彼の目がキラッと光りました。
「動いていいの?」「いいよ。むしろ動かないとネズミじゃないよ。」
その言葉を聞いた瞬間、彼は床を軽く叩き、ちょこちょこ、ぴょんぴょんと跳ね始めました。
◆ 動きが「迷惑」から「表現」に変わった
稽古が進むにつれ、彼の動きは変わりました。
- 仲間の動きに合わせて止まる
- 耳をすます場面では静かにしゃがむ
- 跳ねる動きに目的が生まれる
先生は驚いて言いました。「こんなに集中して動けるんですね…!」
彼は“動くことで集中する子”だったのです。役の中で初めて“止まる理由”を見つけた瞬間でした。
◆ 本番──動きの多い子が舞台を支える存在になった
本番の舞台。彼のネズミは、舞台の空気を一気に明るくしました。ちょこちょこ動き、ぴょんと跳ね、仲間のセリフに合わせてピタッと止まる。
その“止まる”のタイミングが絶妙で、観客の子どもたちが笑い声をあげました。動きが多い子が、舞台のリズムをつくる存在になっていたのです。
◆ 終演後──「褒められるために動いた日」
保育園の先生が涙ぐんで言いました。「この子、動くことが悪いことじゃないって初めて知ったんだと思います。 今日、初めて“褒められるために動いた”んです。」
お母さんも言いました。「家でも“ネズミやるね!”って嬉しそうに動いて見せるんです。」
彼は、動くことが悪いことではなく、表現になることを初めて知ったのです。
◆ “演じた後”に起きた日常の変化
ネズミを演じた経験は、彼の日常にも変化をもたらしました。
- 朝の会で真ん中に座るようになった
- 活動の切り替えで固まる時間が短くなった
- 先生の話を聞く姿勢が変わった
- 自分から「やる」と言えるようになった
- 友だちの動きをまねして一緒に遊ぶようになった
動きの多さは「問題」ではなく「表現の力」だったのです。 物語の中でその力が肯定されたことで、彼の心が静かに開き始めました。
演劇が子どもを変える5つの理由
役になることで「本音」が出せる
普段の自分では言えないことが、役になると言える——これは演劇の持つ不思議な力です。
「怖い」「悲しい」「怒っている」という感情を「自分として」表現するのは、子どもにとって勇気がいります。
しかし「役として」なら、その感情を全力で出すことが許されます。
子どもたちはこの「役というスクリーン」を通して、自分の内側を安全に外に出す練習をします。
これが繰り返されることで、自己表現の回路が少しずつ開いていきます。
失敗してもやり直せる「安全な場」
舞台には「やり直し」があります。台詞を間違えても、動きがずれても、稽古ではやり直せる。本番で失敗しても、次の公演がある。
この「何度でも試せる」という感覚は、失敗を恐れる子どもにとって大きな安心感になります。
現実の生活では「一度の失敗」が重くのしかかることがあります。しかし演劇の場では、失敗は「もう一度やってみよう」につながります。
この体験を積み重ねることで、子どもは少しずつ「失敗してもいい」と思えるようになります。
仲間と作り上げる「達成感」
演劇は一人でできません。セリフの掛け合い、動きのタイミング、舞台の空気——すべてが仲間との共同作業の上に成り立ちます。
バラバラだった子どもたちが一つの舞台を作り上げたとき、そこには「一人ではできないことができた」という達成感が生まれます。
この達成感は自己肯定感の土台になります。
「自分にもできることがある」「仲間がいると力が出る」という体験は、子どもの内側に根を張り、長く残ります。
物語の中で感情を安全に体験する
悲しい話、怖い話、理不尽な話——現実の生活でこうした感情に直面したとき、子どもは受け止め方がわからず混乱することがあります。
しかし物語を通して先に体験していれば、「ああ、これはあの物語と同じだ」と感情を整理するための「地図」が手に入ります。
これはSEL(社会性と情動の学習)の研究が示す通りです。感情を安全に体験し、言葉にする練習が、子どもの心の強さをつくります。
自分を表現する「言葉」を見つける
演劇では台詞を覚えるだけでなく、「この場面でこのキャラクターはどんな気持ちか」を考えます。この問いかけが、子ども自身の内側を言語化する練習になります。
「悲しい」の一言でなく、「悲しくて、でも怒っていて、でも諦めたくない気持ち」というような複雑な感情を、物語を通して表現できるようになっていきます。
【実話】声が出なかった子が“物語の力”で変わった日
小学2年の男の子。普段は明るいのに、歌になると急に声が小さくなる子でした。 兄弟アヒルの子役を渡したとき、お母さんは心配そうに言いました。「この子、意地悪な役なんてできるのかな…」
◆ 最初の稽古。
歌の一音が出ませんでした。♪「みにくいアヒル 出て行け」の歌の場面。
口は開くのに声が出ない。彼はささやくような声で言いました。「歌うと変な声になっちゃう…」
でも、ダンスのステップを教えると、身体が先に動きました。軽やかに跳ねるその動きは、兄弟アヒルの“強がり”そのもの。
◆ 歌が出た瞬間
3回目の稽古。ステップを踏みながら、突然小さな声で ♪「みにくいアヒル〜…」 と歌いました。 身体が声を引っ張り出した瞬間でした。
◆ 本番
舞台の上で彼は堂々と歌いました。「みにくいアヒル 出て行け 出て行け」 観客がどよめくとサトシくんの顔がぱっと明るくなりました。
みにくいアヒルの子が泣きそうになる場面では、彼の歌がほんの少し弱くなりました。その“弱さ”が、兄弟アヒルの子の本当の気持ちを表していました。
◆ 終演後
お母さんは涙ぐみながら言いました。「家で、“今日ね、歌ったんだよ”って自分から言ったんです。こんなこと、初めてで…」
小学校の先生が「サトシくん、音楽の時間に、自分から声を出すようになりましたよ!」
兄弟アヒルの子を演じたことで、彼は“声を出すことへの怖さ”を乗り越えたのです。
【実話】学校に行けなかった子が“自分の声”を取り戻した日
稽古場の扉が静かに開きました。小学校3年生の男の子が、お母さんの背中に隠れるようにして入ってきました。
靴を脱ぐ手が震えていて、目線はずっと床の一点だけを見つめていました。
「学校に行けない日が続いていて……」とお母さんが小さく言いました。その言葉を聞かなくても、彼の立ち姿だけで状況は伝わってきました。
初日は、部屋の隅に小さく座ったまま動きませんでした。
声をかけても、声もなくほんの少しうなずくだけ。そのうなずきには、“ここにいてもいいのか” “自分は迷惑じゃないか” そんな不安がぎゅっと詰まっていました。
◆ 稽古が始まると、彼の中で何かが少しずつ動き始めた
他の子どもたちが物語の世界に入っていく様子を、彼はじっと見つめていました。その“じっと”の奥に、小さな興味の火が灯っているのを私は感じました。
転機は、「三びきのこぶた」の“オオカミ”の役を渡した日。オオカミは家を吹き飛ばすために、大きな声で「フーッ!」と大きな声を出さなけばなりません。
最初は、「…ふ…」というかすかな「音」しか出ませんでした。
「すごいね、オオカミの声が出てきたね。その調子でもうひと吹き、やってみようか」
「うん」彼は頬を膨らませ、ふうーっ!と息を吐きながら声を出しました。
その瞬間、彼は自分の出した音に驚いたように目を上げました。
「先生、これでいい?」「いいよ、すごい。もっと出せるかな?」「ほんと?出してもいいの?」「大丈夫。思いきり出して。」
声が出ると、胸が開き、胸が開くと、目線が上がり、目線が上がると、顔が明るくなる。世界が広がるのです。
◆ 本番の日
幕が開き、オオカミの出番。 彼はぶたの家に走りより、「フーッ!!」と声を放ちました。
その声は、客席の一番後ろまで届きました。観客のある人は息をのみ、ある人は「オオ!」と声をあげました。
幕が開き、オオカミの出番。彼はぶたの家に走りより、「フーッ!!」と声を放ちました。彼の身体がすっと伸びました。
舞台の上で、彼は“オオカミ”ではなく、自分の存在を世界に向けて放つ子どもになっていました。
◆ 終演後に起きた、もっと大きな変化
「こんなに大きな声を出したの、初めてです…」とお母さん。りゅうしくんは私のそばに来て言いました。
「先生、次の稽古、いつ?」
その一言がすべてを物語っていました。
隅っこに座らなくなった。目線が上がった。歩くスピードが変わった。「やりたい」と言えるようになった。学校に行く足取りが軽くなった。
担任の先生も言いました。「発表のときに手を挙げるようになりました」
舞台で大きな声を出したことが成果ではない。舞台で“自分を肯定できたこと”が、日常を変えたのです。
これこそが、物語教育が持つ “子どもの自己肯定感を育てる力” だと思います。
【実話】感情表現が苦手だった子が「しっかり者のおばあさん」を演じたとき
稽古場に入ってきた6歳の女の子は、表情がほとんど動かない子でした。嬉しいときも悲しいときも、顔の筋肉がほとんど動かず、お母さんは「何を考えているのかわからなくて…」と悩んでいました。
女の子は静かに稽古場を見渡し、配役の紙をじっと見つめていました。「自分はどの役になるんだろう」という 小さな期待が見えました。
◆ 「しっかり者のおばあさん役」を渡した瞬間、彼女の目がわずかに動きました
私の台本の“おばあさん”は、オオカミに食べられるだけのキャラクターではありません。最後には赤ずきんと協力して、オオカミのお腹に石を詰めるしっかり者 です。
その役を渡した瞬間、彼女の目がほんの少しだけ見開かれました。 表情は動かないのに、目の奥に「やりたい」という火が灯った のがわかりました。
「おばあさんはね、強いんだよ。賢いんだよ。」 そう伝えると、彼女は小さくうなずきました。そのうなずきは、いつもの“返事としてのうなずき”ではなく、“役を受け取った子のうなずき” でした。
◆ 稽古が進むにつれ、感情が“身体”に出始めました
最初の頃、彼女は台詞を淡々と読み上げていました。でも、オオカミに立ち向かう場面の稽古で、彼女の身体が少し前に出ました。
「赤ずきん、こっちへおいで。」
その声は小さかったのですが、言葉の端に“守ろうとする気持ち”がしっかり乗っていました。
次の稽古では、オオカミの腹に石を詰める動きが少し大きくなり、さらに次の稽古では、石を詰める場面で、彼女の手がしっかりと動きました。
表情はまだ大きく動きません。でも、身体が役を理解し始めている そんな変化が見えました。
◆ 本番、彼女の“しっかり者のおばあさん”に客席が引き込まれました
本番の日。彼女は舞台袖で静かに立っていましたが、その立ち姿はリハーサルの時とはまったく違っていました。背筋が伸び、頭をしゃんとあげ、目線はまっすぐ前を向いていました。
オオカミが倒れたあと、彼女は赤ずきんに向かって 「わたしも手伝うよ」と言いました。その声はお腹の底から出て、小さかったので、 客席にしっかり届きました。
そして、狼のお腹に石を詰める場面。彼女の手は迷いなく動き、その動きに観客が息をのんでいました。
◆ “演じた後”に起きた、日常の変化
本番から数日後、お母さんが言いました。
「家で、“今日ね、ちょっと怒ったんだよ”って言ったんです。こんなふうに気持ちを言葉にしたの、初めてで…」
保育園でも、「表情が少し柔らかくなりました」 と先生が驚いていました。
女の子は、
- 嬉しいときに口元が少し上がる
- 怒ったときに眉が寄る
- 悲しいときに目を伏せる
そんな“自然な感情の動き”が出るようになりました。
しっかり者のおばあさん役を演じた経験が、彼女の内側に眠っていた感情を動かしたのです。
物語の中で感情を動かす経験が、日常の心の扉を開きました。
【実話】言葉がつかえた男の子が「体で話せた日」
稽古場に来た5歳の男の子は、軽い吃音がありました。言葉を発する前に、必ず小さく息を吸い込む癖があり、「ぼ、ぼ、ぼく…」と始まる言葉は途中で止まってしまうことが多く、そのたびに彼は目線を床に落としていました。
お母さんは 「話したい気持ちはあるんです。でも、言葉が出ないとすぐ諦めてしまって…」 と胸の内を明かされました。
初日の稽古でも、彼は他の子の後ろに隠れるように立ち、声を出す場面になると胸の前で手をぎゅっと握りしめていました。
◆ 「ネズミ」の役が、彼の身体を自由にしました
|現場からのひとこと
稽古場に来たのは、6歳の男の子。とにかく“落ち着かない”。 座っていても足が揺れ、立っていても手が動き、気持ちが常に外へ飛び出してしまうタイプの子でした。
保育園の先生は困り顔で言いました。「集中が続かなくて…みんなと同じ場にいるのが難しいんです」
稽古場でも同じでした。他の子が台詞を練習している横で、彼は突然ジャンプしたり、走り出したり、 まるで身体の中に“止まらないエンジン”があるようでした。
◆ ネズミ役を渡した瞬間、彼の動きが“意味”を持ち始めた
彼に渡したのは「ネズミ」の役。 理由はひとつ。 ——ネズミは、動いていい役だから。
「ネズミはね、ちょこちょこ動くんだよ」 そう伝えた瞬間、彼の目がキラッと光りました。
「動いていいの?」 彼は食い気味に聞いてきました。
「いいよ。むしろ動かないとネズミじゃないよ。」
その言葉を聞いた瞬間、彼は床を軽く叩き、 ちょこちょこ、ぴょんぴょんと跳ね始めました。
今まで“落ち着かない”と注意されていた動きが、物語の中では役として必要な動きになったのです。
◆ 動きが「迷惑」から「表現」に変わった
稽古が進むにつれ、彼の動きは変わりました。
ただ走り回るのではなく、仲間の動きに合わせて止まったり、耳をすます場面では静かにしゃがんだり、動きに“目的”が生まれました。
先生が驚いて言いました。「こんなに集中して動けるんですね…!」
彼は動くことで集中していたのです。 止まることができなかった子が、 役の中で初めて“止まる理由”を見つけた瞬間でした。
◆ 本番──動きの多い子が、舞台を支える存在になった
本番の舞台。彼のネズミは、舞台の空気を一気に明るくしました。
ちょこちょこ動き、ぴょんと跳ね、仲間のセリフに合わせてピタッと止まる。
その“止まる”のタイミングが絶妙で、観客の子どもたちが笑い声をあげました。
動きが多い子が、舞台のリズムをつくる存在になっていたのです。
◆ 終演後──先生の言葉がすべてを物語った
終演後、保育園の先生が涙ぐんで言いました。
「この子、動くことが悪いことじゃないって初めて知ったんだと思います。今日、初めて“褒められるために動いた”んです。」
お母さんも言いました。「家でも“ネズミやるね!”って嬉しそうに動いて見せるんです。前は“落ち着きなさい”って言われるばかりだったのに…」
彼は、 動くことが悪いことではなく、表現になる ということを、ネズミの役で初めて知ったのです。
劇の稽古で、彼に渡したのは“ネズミ”の役でした。 台詞はほとんどなく、 「小さく丸まる」「ぴょんと跳ねる」「耳をすます」 といった動きが中心です。
「丸まってみようか」と声をかけると、彼は言葉より先に身体が動きました。小さく、小さく、本当にネズミのように丸まりました。
次の稽古では跳ねる動きが軽くなり、さらに次の稽古では、耳をすます動きに“間(ま)”が生まれました。
吃音のある子は、言葉の前に“ため”が生まれます。その“ため”が、ネズミの動きの中では 表現として生きた のです。
◆ 本番、言葉がなくても観客を惹きつけました
本番の舞台。彼のネズミは、舞台の上をちょこちょこと動き回り、耳をぴんと立て、時にはピタッと止まりました。
その“止まる”の間に、客席の子どもたちが引き込まれていきました。吃音の子が持つ“間”が、この役では 魅力そのもの になっていました。
言葉はひとつも発していないのに、彼の身体が物語を語っていました。
◆ 終演後、彼が初めて“自分の言葉”で言いました
終演後、彼は私のところに来て、胸を張って言いました。
「ぼ、ぼく……ちゃ、ちゃんと……できた。」
途中でつかえながらも、最後まで自分で言い切りました。その瞬間の彼の晴れやかな表情は、今でも忘れられません。
◆ “演じた後”に起きた、家庭での変化
——お母さんの喜びが、涙に変わった日
後日、お母さんが稽古場に来て、少し涙ぐみながら話されました。
「最近、“やる”って自分から言うんです。言葉がつかえても、最後まで言おうとするんです。前は途中で諦めてしまっていたのに…」
お母さんは、「自信がついたんだと思います」 と静かに言いました。
その声には、長い間抱えてきた不安がほどけていくような温度がありました。
◆ 保育園でも起きた変化
|現場からのひとこと
ミュージカルの稽古に参加していた5歳の男の子。保育園では「気持ちの切り替えが苦手」「集団活動になると固まってしまう」と先生が悩んでいた子でした。
稽古場では、最初は周りの子の動きをただ目で追うだけ。でも、物語の中で“役”を生きる時間が増えるにつれ、少しずつ身体が動き始めました。
本番を終えた翌週、保育園の先生から電話がありました。
「今日、朝の会で“歌いたい”って自分から言ったんです。」
先生は驚いていました。その子はいつも、朝の会の歌の時間になると 椅子の端で小さくなり、歌が始まるとさらに身体を縮めてしまう子だったからです。
その日は違いました。
先生が「今日の歌は何にしようか?」と聞いた瞬間、 彼は手を胸の前でぎゅっと握りしめながら、小さな声で言ったそうです。
「ぼく……うたいたい」
その声は震えていたけれど、確かに“自分の意思”でした。
歌が始まると、彼は最初の一音を出すまでに少し時間がかかりました。でも、隣の子がちらっと彼を見てニコッと笑った瞬間、 彼の声がふっと出たそうです。
その後の彼は——
- 朝の会で椅子の端ではなく、真ん中に座るようになった
- 活動の切り替えで固まる時間が短くなった
- 先生の話を聞くときの姿勢が変わった
- 自分から「やる」と言える場面が増えた
- 友だちの動きをまねして一緒に遊ぶようになった
先生はこう言いました。
「舞台での経験が、保育園の日常にそのまま出てきています。 “できるかもしれない”って気持ちが、彼の中に芽生えたんだと思います。」
物語の中で自分を動かした経験が、保育園の日常の中で彼の心を動かし始めたのです。
保育園の先生からも連絡がありました。
「最近、動きで気持ちを伝えることが増えました。 “見て!”って自分から動いて見せるんです。前は言葉が出ないと固まってしまっていたのに…」
さらに先生はこう続けました。
「言葉が出ない子でも、こんなに表現できるんですね。物語の力ってすごいですね。」
現場の先生がこう言ってくださるとき、私はいつも胸が熱くなります。
◆ 物語教育の威力
——“できた”が、言葉と身体の両方を変えました
彼は、
- 言葉がつかえても諦めずに言い切る
- 伝わらないときは身体で示す
- 目線を合わせる時間が長くなる
- 「やりたい」と自分から言う
そんな変化が見られるようになりました。
“できた”という成功体験が、彼の言葉と身体の両方を変えたのです。
これは、演劇の教育効果 が持つ “非言語の表現が言語の自信につながる”典型的な例です。
家庭・保育の現場でできる「はじめの一歩」
物語教育は、特別な舞台や大きな設備がなくても、 家庭や保育園の“日常の中”で静かに始めることができます。 子どもたちの心は、ほんの小さなきっかけで動き始めます。そのきっかけをつくるのは、保育者や保護者の「声のかけ方」や「まなざし」です。
ここでは、明日からすぐにできる“はじめの一歩”を紹介します。
絵本の「気持ち」を聞く
現場からのひとこと
4歳の女の子。絵本は好きなのに、みんなの前で感想を言うのが苦手で、読み終わると先生の後ろに隠れてしまう子でした。
ある日、先生はいつもの「どう思った?」ではなく、こう聞きました。
「この子、今どんな気持ちだったと思う?」
女の子は主人公の絵をじっと見つめて、小さな声で言いました。
「……こわかったと思う」
その声は震えていたけれど、確かに“自分の言葉”でした。
「どうしてそう思ったの?」 と先生が聞くと、女の子は主人公の手を指さして言いました。
「だって、ぎゅってしてたから」
その瞬間、保育室の空気がふっとやわらかくなりました。普段は言葉が出ない子が、絵本の登場人物を通して“自分の感じたこと”を言えたのです。
その日を境に——
- 絵本の時間に先生の後ろに隠れなくなった
- 絵本を読み終えると、自分から絵を指さすようになった
- 「この子、どんな気持ち?」の問いかけに短い言葉で返せるようになった
- 友だちの発言にも耳を向けるようになった
家庭でも同じことが起きました。 お母さんが絵本を読み終えたあとに 「この子、どんな気持ちだった?」と聞くと、 女の子はページをめくりながら言いました。
「ここはね、ちょっとこわいの」
絵本の主人公の気持ちを考えることが、 女の子自身の気持ちを言葉にする練習になっていたのです。
役になりきる遊びを取り入れる
絵本や物語を読んだあと、「この子になって歩いてみようか」 「この場面、どう動くと思う?」 と声をかけるだけで、子どもは自然と“役の世界”に入っていきます。
役になりきる遊びは、
- 感情の理解
- 身体表現
- 他者視点 を育てる、物語教育の入り口です。
大げさな演技は必要ありません。 歩き方、声の高さ、表情を少し変えるだけで、子どもは役の気持ちを感じ始めます。
感情の言葉を一緒に探す
物語の中には、日常では出会いにくい感情がたくさんあります。
「悲しいだけじゃなくて、ちょっと怒ってるかもね」
「怖いけど、がんばりたい気持ちもあるのかな」
こうした言葉の“重ね合わせ”が、子どもの感情の理解を深めます。
感情の言葉を一緒に探すことは、 子どもが自分の気持ちを整理するための“言葉の引き出し”を増やす作業です。
「劇あそび」は大げさでなくていい
劇あそびは、完成した舞台を作ることが目的ではありません。子どもたちが物語の中に入り、体を動かし、声を出し、仲間と何かを作り上げる
—— その過程そのものが大切です。
「うまくやらせよう」と考えなくていいのです。
子どもたちが「やってみたい」と思える場をつくることが、大人の役割です。
劇あそびは、子どもが自分の気持ちを動かし、仲間と関わり、
「できた」
「言えた」
「伝わった」
という小さな成功を積み重ねる場です。
その一つひとつが、子どもの心の芽吹きにつながります。
💡 現場からのポイント
子どもが「できた」と感じる瞬間をできるだけ作ってあげてください。
それは台詞を完璧に言えたときではなく、自分なりの表現を見つけたとき、仲間に認められたとき、物語の中で本当に笑えたとき——そういう瞬間です。
その積み重ねが、子どもの自己表現の力になります。
【まとめ】物語の中で子どもは“自分の力”に出会う
55年以上、子どもたちと物語の世界を歩いてきて感じるのは、子どもは「役」という器を通して、自分の内側に眠っていた力に出会うということです。
演じることは、ただ台詞を言うことでも、動きを覚えることでもありません。
子どもが自分の身体・声・感情と向き合い、「こんな自分がいたんだ」と気づくための、静かで確かな道のりです。
兄弟アヒルの子を演じた男の子は、 身体の動きが声を引っ張り出し、“歌える自分”に出会いました。
学校に行けなかったオオカミの子は、大きな息を吐くことで、“世界に向かって声を出せる自分”を取り戻しました。
ネズミの役を演じた子は、落ち着かない動きが“表現”に変わり、“動いていい自分”を肯定できました。
しっかり者のおばあさんを演じた女の子は、身体の前に出る一歩で、“気持ちを動かせる自分”を知りました。
言葉がつかえた男の子は、身体の動きが言葉の前に道をつくり、“最後まで言える自分”に出会いました。
どの子も、物語の中で自分を肯定し、その肯定が日常の変化につながっていったのです。
演劇や語り芝居は、子どもの心を揺らし、身体を動かし、感情を安全に扱い、仲間とつながり、「自分にもできることがある」と気づかせてくれる場です。
物語教育は、子どもの自己肯定感を育てるための “あたたかい土壌”なのだと、現場で出会った何百人もの子どもたちが教えてくれました。
明日、子どもと向き合うとき、ほんの少しだけ物語の力を思い出してみてください。子どもの心は、静かに、しかし確かに動き始めます。
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※本記事は著者の体験・見解に基づく情報提供を目的としています。実践の際は各現場の状況や子どもの発達段階に合わせてご活用ください。


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