昔話は、いつも“今”を語っている
ある日の保育園の朝の会で、5歳児の男の子が突然こう言いました。
「お母さん、コメ券って何人分もらえるの?」 その子の隣に座っていた女の子が「うちは2枚だけだった」と返すと、ほかの子どもたちも「うちも」「赤ちゃんももらえるの?」と、コメ券の話で一気に盛り上がりました。
ちょうどその週、年長クラスでは昔話『おむすびころりん』を使った劇あそびの準備を進めており、子どもたちは家庭で聞いた“コメ券”の話を、物語の中に自然に取り入れ始めました。
なぜ『おむすびころりん』に“コメ券”を組み込んだのか
子どもにとって“コメ券”とは何か
「コメ券」は、物価高対策として自治体が配布するお米の引換券ですが、大人にとっては家計に直結する制度の話でも、子どもにとっては「不思議な紙」「わくわくする紙」。
ある子は「コメ券を持ってたら、手の中からお米がザクザク出てくるのかなあ」と想像し、別の子は「売って稼いで、お金持ちになってゲームを買うんだ!」と目を輝かせていました。
さらに「わたしは、ディズニーランドに行きたい」と話す子もいて、子どもたちの頭の中では「コメ券=大きなお金・自由に使えるもの」として、現実とファンタジーが混ざった形で受け止められていることがわかります。
子どもたちの会話を聞いていると、「コメ券を売って大金持ちになる」という発想が、現実のお金の仕組みと完全には結びついていないことに気づかされます。
家庭で「コメ券=お金に近い価値がある」という話を耳にした結果、子どもたちは「売れる=お金になる=好きなものが買える」という、自分なりのロジックを組み立てているようでした。
このように、子どもはニュースや家庭の会話を手がかりに、まだ見えていない“社会のしくみ”を想像しようとしているのです。
今の子ども達は、お金になる話には敏感で、いつもはおとなしい子も声が大きくなり、身を乗り出して話に入っていきます。20年くらい前の子ども達はこれほどの反応はありませんでした。
劇あそびに“コメ券”を登場させたときの変化
コメ券つきおむすびが登場したら、物語はどう動くか
『おむすびころりん』の劇あそびを始めるとき、おばあさんが「今日は特別なおむすびよ。“コメ券”って書いてあるから、落とさないようにね」と、おむすびに“コメ券”の紙を巻いて渡す場面を最初に置きました。
おじいさんは「コメ券? なんだそれ?」と首をかしげながら山へ向かい、おむすびを落としてしまいます。
すると、ねずみたちが「コメ券つきのおむすびが落ちてきた!」「コメ券があれば餅米がどんどん出てくるよ」「もちつき大会をしよう!」と大騒ぎになり、子どもたちはそこから歌や踊りを即興で作り始めました。
“コメ券”という現代的なキーワードが登場したことで、物語の展開は一気に動き出し、子どもたちの想像力が一段と広がりました。
ねずみたちが「もちつき大会」を始めると、子どもたちは「コメ券もちつきの歌」を作ったり、臼のまわりをぐるぐる回りながら踊ったりして、笑い声で部屋がいっぱいになっていきます。
そこには、「コメ券=お米が増えるもの」「みんなで分け合えるもの」といったイメージを、言葉だけでなく、全身を使って表現する子どもたちの姿がありました。
はじめのうちは、コメ券を売ってお金持ちになり何を買うかの話に夢中になっていたこども達が、劇あそびをするうちに自分の欲から離れ「みんなでやろう!」という気持ちになってきました。
実際の劇あそびの流れと台本の作り方
この劇あそびでは、登場人物を次のように設定しました。配役はクラスの人数や子どもの希望に合わせて、自由に増減できます。
良いおじいさん
良いおばあさん(コメ券を書く役)
悪いおじいさん
悪いおばあさん(少しズルい性格の役)
ねずみたち(何匹でもOK)
もちつき係・歌係・見守り役など、裏方も含めた役
語り手(保育者または子ども)
あらすじと劇あそび進行の流れ(即興を活かす構成)
場面①:おばあさんとおじいさんの朝
おばあさんが「今日は特別なおむすびよ。これさえあれば、いつでもお米がもらえる“コメ券”がついているからね。落とさないように気をつけて」と言いながら、おむすびに“コメ券”の紙を巻いておじいさんに手渡す場面から始めます。
このとき、おじいさん役の子どもには「コメ券って何?」「本当にいつでもお米がもらえるの?」といったセリフをアドリブで語りかけるようにしてもらうと、周りの子どもたちの興味関心がぐいっと高まります。
おじいさんは、コメ券つきのおむすびを持って山へ向かいます。
興味関心を持たせることが幼児教育にはとても大事なことです。語りかけには子どもの興味関心を引き出す威力があるのです。
場面②:おむすびがねずみ穴に落ちる
おじいさんが山道で一休みしようとして腰をおろしたとき、おむすびは「ころころころりん」と転がり出し、ねずみの穴の中へ消えていきます。
ここで保育者が「おむすびはどこに行ったのかな?」「穴の中には誰がいるかな?」と問いかけながら進めると、子どもたちは次の場面を話し出します。
場面③:ねずみの国で餅つき大会
おむすびが転がり落ちた先は、ねずみたちの国でした。ねずみたちは「コメ券つきのおむすびだ!」「おじいさん、ありがとう!」と口々に叫び、特別なおむすびが来たことを喜びます。
子どもたちは、「コメ券があれば餅米がどんどん出てくる」「みんなでお餅をついてお祭りをしよう」とアイデアを出し合い、臼のまわりで好きなように歌い、踊り始めました。
ここでは、おじいさんがコメ券をねずみたちに渡し、その代わりに宝物をもらって帰る、という大きな流れだけを決めておき、途中の歌やセリフは子どもたちの即興に任せました。
参考:私が作った餅つき歌です。よろしければお使いください。
♪百になっても千になっても ワンワンの声は聞きたくねえ ワンワンの声は聞きたくねえ しととん しととん しととんとん
場面④:良いおじいさんの家と、こっそり見ている悪いおじいさん
おじいさんが宝物を持って帰ると、おばあさんは「まあ、こんなにたくさん! どうしたの?」と驚きながら迎えます。
ふたりが、ねずみの国での出来事や“コメ券”の話でもちきりになっている様子を、陰からじっと見つめているのが悪いおじいさんです。
悪いおじいさんは「うちのおばあさんにもコメ券を作ってもらえば、もっとたくさん宝物が手に入るぞ」と考え、こっそりまねをしようと決めます。
場面⑤:にせ“コメ券”づくりと「コメ犬」事件のはじまり
悪いおじいさんは家に戻ると、おばあさんに「おい、あの“コメ券”というのを書いてくれ。もっとたくさん宝物がほしいんだ」と頼みます。
慌てた悪いおばあさんは、よく確かめないまま紙に文字を書き、おむすびを包みましたが、そこには「コメ券」ではなく「コメ犬」と書かれていました。
悪いおじいさんは文字の違いに気づかず、「これで自分も大金持ちだ」と言いながら、“コメ犬”おむすびを持って山へ向かいます。
場面⑥:ねずみの国で“コメ犬”パニック発生
悪いおじいさんのおむすびがねずみの国に転がり落ちると、ねずみたちは「またコメ券つきのおむすびだ!」と大喜びで紙を開きます。
ところが、中から飛び出してきたのは「コメ券」ではなく、「コメ犬」と書かれた札と、一匹の元気な犬でした。
「うわっ、犬だ!」「追いかけてくるー!」「餅つき中止! みんな逃げろ!」と、ねずみたちは大パニックになり、悪いおじいさんも慌てて逃げ帰ることになります。
場面⑦:しょんぼりしたふたりと、子どもたちの“つづきの物語”
家に戻った悪いおじいさんに、おばあさんは「宝物、たくさんもらってきたんでしょ?」と期待を込めてたずねます。
しかし、おじいさんは「犬に追いかけられて、何ももらえなかった…」とうなだれ、おばあさんも「“コメ犬”って書いた覚えなんてないのに」と、ふたりでしょんぼり座り込んでしまいます。
ここで語り手(先生や子ども)が「さて、このふたりはどうなったでしょう? みんなだったら、どうする?」と問いかけ、子どもたちが自由に“つづきの物語”を考える時間に入ります。
ここからは、子どもたちの“今の気持ち”が物語を動かします。 「もう一回チャンスをあげる」「犬を飼う」「ねずみに謝る」「もちを返す」── どんな展開になるかは、その日、その子ども達次第。
このように、笑いと混乱の中に“問い”が立ち上がる構成にすることで、 子どもたちの即興力・想像力・社会的感覚が自然に引き出されます。
日本の昔話は西洋のそれと違ってその後の展開を考える物語が多いのです。だから、子ども達に様々な展開をさせてみると子どもの想像力を育てるうえで大きな効果を期待できます。気楽に楽しくやってみましょう!
劇あそびは、子どもが“今の社会”と出会う場
劇あそびを通して子どもが学んでいること
劇あそびの振り返りの時間には、子どもたちからこんな質問も出てきました。
「コメ券って、家族が多いとどうなるの?」「赤ちゃんももらえるの?」「ズルした人は、もう一回行ってもいいの?」「もちつき券は、何回まで使えるの?」
これらは、単なる好奇心ではなく、「制度のルール」「公平さ」「許すこと」「権利と回数」など、私たち大人が普段話しているテーマに直結しています。
子どもたちの言葉をたどると、「人数が多い家はどうなる?」「赤ちゃんは?」という視点から、家族構成や分配の問題に目を向けていることがわかります。
また、「ズルをした人は、また行っていいのか」「でも、もちを食べたい気持ちは同じ」というやり取りには、罰と許し、公平さと同情心の間で揺れる子どもの感情がにじんでいます。
劇あそびの中で、子どもたちは遊びながら現実を見つめ、その現実を物語の世界に持ち込み、「もしこうだったら?」と何度も試し直しているのです。
まとめ:昔話は、今を生きる子どもたちの“今話”になる
今回の実践の中で、子どもたちはこんなことを体で学んでいたように思います。
コメ券は、ただの紙ではなく、「誰かの気持ち」や「分け合う仕組み」が込められたものだということ。 ズルをすると信頼が壊れてしまうこと 。
許してもらうには、時間と行動が必要なこと 正解は一つではなく、その日その時の気持ちによって答えが変わってもよいこと。
昔話は、今を生きる子どもたちにとっての“今話”になり得ます。 劇あそびは、その“今”を安心して語り、試し、やり直せる舞台です。
子どもたちは、ただ楽しく遊んでいるだけではなく、社会の空気を感じながら、信頼や不信、分け合いの意味を自分の体と心で確かめています。
コメ券という一枚の“紙切れ”が子どもの手に渡ったとき、それは制度の説明書ではなく、物語を動かし、人と人をつなぐ“鍵”へと姿を変えます。
だからこそ、劇あそびは毎回同じでなくてよく、その日その子が感じている“今”こそが、いちばん大切な物語なのだと思います。
語り手としてたいせつにしていること
子どもは、決して“何もわかっていない存在”ではありません。 ニュースも、大人の会話も、保育者の表情も、 思っている以上によく見て、よく聞いて、そして、自分なりに考えています。
だから私は、子どもの言葉を、大人の言葉に置き換えすぎないようにしています。
子ども達の言葉は未熟だったり極端なのは当然です。生まれて4年か5年しか経っていないのですから人生経験は浅いですよね。
でも、その感性は鋭く、直感力が優れていて 大人の“本当のところ”をずばりと見抜くのです。
昔話を語っていると気づかされます。 これは「昔の話」ではなく、 「今をどう生きるか」を、差し出してくれる物語なのだと。
語りは、子どもが物語と現実を行ったり来たりする旅です。 物語の中に住み、登場人物として感じ、考え、動いてみる。 そしてまた、現実の世界に戻って、自分の暮らしや気持ちを見つめ直す。
劇あそびは、その旅を“体験”として生きる時間。 だからこそ、子どもの言葉には、体験からにじむ力強さが宿るのです。
私たち語り手にできるのは、 その旅路にそっと寄り添い、 子どもたちが物語の中で自由に生き、また現実に戻ってくるのを信じて待つこと。
そして、何よりも忘れてはいけないことは── 語りながら、私自身が子どもたちに教えられているということです。これからも語りの旅を続けて学びたいと思っています。

『昔ばなしは今ばなし』(浜島代志子著・大月書店刊)昔話を子ども達に語った際の体験談が満載です。よろしければご覧ください。


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