アンデルセンの故郷を歩いた旅のあと、私は改めて彼の作品に向き合うことになりました。 オーデンセの静かな街並み、石畳の道、川沿いの風── そのすべてが、私の中に眠っていた“語り手としての原点”をそっと呼び覚ましてくれました。
旅の余韻が消えないうちに、私は机に向かい、 アンデルセンの物語を一つひとつ読み返しました。すると、子どもの頃に読んだときには気づかなかった“心の奥の震え”が、今の私にははっきりと感じられたのです。
アンデルセンの物語は、ただの童話ではありません。人の心の痛み、孤独、希望、祈り── そうした“見えないもの”を、静かに、しかし鋭く描き出す作品です。
だからこそ、舞台化するときには、言葉の奥に潜む“心の震え”をどう立ち上げるか という問いが、いつも私の前に立ちはだかります。
ここでは、私が実際に舞台化に取り組んだ三つの作品を通して、 アンデルセンが描いた“心の核心”に触れていきたいと思います。
『雪の女王』──心が凍るとはどういうことか
✳︎「雪の女王」稽古風景
凍った心を溶かす瞬間を探しながら、子どもたちと向き合った稽古の日々。 ゲルダの祈りが、少しずつ形になっていく時間でした。
『雪の女王』は、私にとって特別な作品です。カイの心に刺さった“鏡の破片”は、現代を生きる子どもたちの心にも、そっと重なって見えました。
鏡の破片が刺さると、美しいものが醜く見え、醜いものばかりが目に入るようになる── アンデルセンは、心が凍る瞬間をこんな形で描きました。
私はこの描写を読むたびに、「子どもたちの心にも、見えない破片が刺さることがある」そう感じずにはいられませんでした。
学校での小さな言葉、家庭でのすれ違い、自分自身への否定。そうした“破片”が心に刺さると、 世界は少しずつ色を失っていきます。
体験談①:ゲルダ役の子が見せた“祈りの声”
ある年、ゲルダ役の子がどうしても感情を乗せられず、 台詞が平坦になってしまう日が続きました。私は無理に感情を引き出そうとはせず、 ただ隣に座って、静かに物語の話をしました。
「ゲルダはね、強い子じゃないの。 でも、大切な人を思う気持ちだけは、誰にも負けなかったの。」
しばらく黙っていたその子は、 ぽつりと「わたしも、仲良しの子とケンカしたままなんです」と話してくれました。
その日の稽古で、彼女が「カイを助けたい」と言った声は、それまでとはまったく違う響きを持っていました。
その声は、台詞ではなく、 その子自身の祈りのように聞こえたのです。
カイとゲルダの物語が教えてくれたこと
鏡の破片が刺さると、美しいものが醜く見え、 醜いものばかりが目に入るようになる── アンデルセンは、心が凍る瞬間をこんな形で描きました。
私はこの描写を読むたびに、「子どもたちの心にも、見えない破片が刺さることがある」 そう感じずにはいられませんでした。
舞台化で見えてきた“心の動き”
台本を書きながら、私はゲルダの祈りの言葉を何度も書き直しました。彼女の“信じる力”が、凍った心を溶かしていく。その瞬間を、どう舞台で立ち上げるか。
稽古場で子どもたちがゲルダを演じる姿を見ていると、その問いの答えが少しずつ見えてきました。
声の震え、目の奥の光、息を吸う瞬間の静けさ── それらが、物語の核心をそっと照らしてくれたのです。
ある日、ゲルダ役の子が 「カイを助けたい」とつぶやくように言った瞬間、稽古場の空気がふっと変わりました。
その声は、台詞ではなく、その子自身の祈りのように聞こえたのです。
『みにくいアヒルの子』──孤独と自己受容の物語

✳︎居場所を探し続けるアヒルの子の姿に、子どもたち自身の心がそっと重なっていく。 顔が見えなくても、背中や手の動きに“物語の痛み”が静かに宿っていました。
『みにくいアヒルの子』は、 “自分は何者なのか”という問いを抱えるすべての子どもに寄り添う物語です。
アヒルの子は、誰からも受け入れられず、 自分の居場所を見つけられないまま旅を続けます。 その孤独は、現代の子どもたちの心にも深く響きます。
体験談②:アヒルの子に自分を重ねた男の子
ある男の子がアヒルの子を演じたときのことです。 普段は明るく元気なのに、稽古になると急に声が小さくなる子でした。
私は理由を聞きませんでした。ただ、アヒルの子の旅の話を一緒に読み返し、「この子はね、弱いんじゃないよ。まだ、自分の羽の色に気づいていないだけ。」と伝えました。
数日後、彼は舞台の上で、 小さな声ながらも、はっきりとした言葉で台詞を言いました。
終わったあと、彼は私に 「ぼく、アヒルの子みたいに、いつか白鳥になれるかな」 とつぶやきました。その言葉は、今でも私の胸の奥に残っています。
アヒルの子の心の痛みをどう表現するか
舞台化するとき、私は 「この子の心の痛みを、どう表現すればいいのか」 という問いに向き合いました。
アヒルの子の台詞は、声を張り上げるよりも、むしろ小さな声で語るほうが、心の奥に届くことがあります。
舞台で見えた“変化”
稽古場で、ある子がアヒルの子の台詞を言った瞬間、その声が震えました。それは演技ではなく、その子自身の心の奥にある痛みが触れた瞬間でした。
その後、その子は少しずつ表情が変わり、 舞台の上で自分の居場所を見つけていきました。物語が子どもを育て、 子どもが物語を育てる── その瞬間を、私は何度も目にしてきました。
『親ゆび姫』──小さな存在が持つ大きな力
✳︎舞台で使う小道具達。身近にあるものを利用する。小さな親ゆび姫の世界を支える道具たち。 子どもたちの手で命が吹き込まれ、物語が静かに立ち上がっていきました。
親ゆび姫は、弱くて小さな存在です。けれど、その小ささの中に、誰よりも強い“生きる力”が宿っています。
舞台で親ゆび姫を演じた子は、最初は声が小さく、表情も硬かった。けれど、稽古を重ねるうちに、 その子の中にある“光”が少しずつ立ち上がってきました。
物語が子どもを育て、 子どもが物語を育てる── その瞬間を、私は何度も目にしてきました。
親ゆび姫の“弱さ”と“強さ”
親ゆび姫は、流され、奪われ、迷いながらも、 決して心の光を失いません。その姿は、子どもたちの中にある“しなやかな強さ”そのものです。
舞台化で浮かび上がったもの
舞台で親ゆび姫を演じた子は、最初は声が小さく、表情も硬かった。けれど、稽古を重ねるうちに、その子の中にある“光”が少しずつ立ち上がってきました。
物語が子どもを育て、 子どもが物語を育てる── その瞬間を、私は何度も目にしてきました。
語りと舞台──二つの表現が出会う
語りは、ひとりの声で物語を立ち上げる表現。舞台は、多くの人の力で物語を立ち上げる表現。どちらも、“心の奥にあるものを見つめる” という点では同じです。
語りの力とは
語りは、声の震え、間の静けさ、 そのすべてが“心の動き”を伝えます。一人の声が、観客の心にそっと触れる瞬間があります。
語りは、声の震え、間の静けさ、そのすべてが“心の動き”を伝えます。
舞台が生み出す共同体の物語
舞台は、子どもたち、観客、スタッフ── 多くの人の心が重なり合って、 ひとつの物語をつくります。その瞬間、 物語は“個人のもの”から“共同体のもの”へと変わるのです。
おわりに──物語を未来へ手渡すために
アンデルセンの物語は、 時代を越えて、今を生きる子どもたちの心に寄り添います。物語は、心を照らし、ときに救い、ときに未来への道しるべになります。
アンデルセンの作品を語りやミュージカル舞台化する、絵本にしてきました。私はこれからも、 語り手として、舞台をつくる者として、 物語を未来へ手渡していきたいと思います。色々な経験がお役に立つと思います。

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