昔話『三びきのこぶた』は、子どもたちの心を揺らし、育てる力を秘めています。 語りを通して物語に入り込み、劇あそびへと広げることで、子どもは「逃げる」「守る」「立ち向かう」といった感情や行動を、自分のものとして体験し始めます。
この物語は、三匹のこぶたという“別々の存在”ではなく、ひとりの人間の成長段階を描いているとも読めます。 わらの家は未熟さ、木の家は工夫と挑戦、レンガの家は知恵と覚悟。 そして、オオカミは人生に突然現れる“試練”の象徴です。
本記事では、保育園・幼稚園の先生方、そしてご家庭の保護者の方に向けて、 『三びきのこぶた』を活用した語りと劇あそびの実践方法を、現場の経験とともにわかりやすくご紹介します。
子どもの心の成長を促すために、どんな語り方が効果的か。 劇あそびを通して、どんな力が育つのか。 家庭でもできる「親子の物語時間」のすすめまで、具体的な事例とともにお届けします。
物語は、子ども自身の人生の予習。 語りとあそびの力で、子どもが自分の物語を生き始める――そんな瞬間を、ぜひご一緒に育んでいきましょう。語りの現場から|子どもたちが物語を生きる瞬間をご紹介します。
幼稚園で「さんびきのこぶた」語ったら絶叫大会!
ある春の日、千葉県の幼稚園。 ホールに集まった子どもたちの前で、『三びきのこぶた』の語りが始まりました。 語り手の声が響くと、空気がすっと変わります。 ざわついていた子どもたちが、まるで魔法にかかったように静まり、目が語り手に吸い寄せられていく。
「オオカミが、ふーっと吹いた!」 その瞬間、前列の男の子が立ち上がって叫びました。 「逃げろ!」 隣の子は、友だちの手をぎゅっと握りしめている。 物語の世界に、全身で入っている。
そして、オオカミとのやりとりが始まると、場は一気に熱を帯びました。 「オオカミのバカ!」 「逃げろー!」 「うんち投げてやれ‼️」 絶叫大会のような応酬。 でもそれは、ただの騒ぎではありません。 子どもたちは、自分の中の“こぶた”を生きながら、オオカミという“試練”に立ち向かっているのです。
誰かが逃げる。誰かが守る。誰かが笑いながら挑む。 その姿は、まるで小さな命が、自分の力を確かめているようでした。
大人が思っている以上に、子どもたちは“物語の中で生きる力”を持っています。 語りは、その力を引き出すきっかけになる。 そして、劇あそびへとつながるとき、子どもたちはさらに深く、自分の物語を生き始めるのです。
「三びきのこぶた」は兄弟の物語ではない
「三びきのこぶた」と聞いて、多くの人が思い浮かべるのは、 わらの家が吹き飛ばされ、こぶたが逃げる。木の家も壊され、兄弟が三男のレンガの家に逃げ込む――そんな展開かもしれません。
けれど、本来の物語は違います。 それぞれのこぶたは、オオカミに食べられてしまいます。 最後のこぶただけが生き残り、オオカミを撃退するのです。
この物語は、三匹のこぶたが「兄弟」なのではなく、一人の人間の成長段階を描いた寓話なのです。 子ども時代、青年期、大人期――それぞれのこぶたが象徴するのは、人生の三つの時期。 そして、オオカミはその都度現れる“試練”です。
成長の三段階|こぶたたちの家と人生
第1段階|わらの家=子ども時代
最初のこぶたは、わらで家を建てます。 軽くてすぐできるけれど、オオカミが「ふーっ!」と吹くと、あっという間に壊れてしまいます。 こぶたは逃げることもできず、オオカミに食べられてしまいます。
第2段階|木の家=青年期
次のこぶたは、木の枝で家を建てます。 わらよりは丈夫で、工夫も見られますが、オオカミの息には耐えられず、やはり吹き飛ばされてしまいます。 このこぶたも、オオカミに食べられてしまいます。
第3段階|レンガの家=大人期
最後のこぶたは、時間をかけてレンガで家を建てます。 オオカミが何度吹いても壊れず、煙突から侵入しようとすると、こぶたは火を焚いて鍋を用意。 オオカミは煙突から落ちてきて、鍋でぐつぐつ煮られ、こぶたに食べられてしまいます。
オオカミ=人生の試練
オオカミは、人生に何度も現れる“困難”や“恐れ”の象徴です。 逃げるだけではなく、どう向き合うかが、成長の鍵になります。
- 子ども期:試練に飲み込まれる
- 青年期:試練に挑むが、まだ不十分
- 大人期:試練を見据え、準備し、乗り越える
成長段階 | 試練への反応 | 教育的意味 |
---|---|---|
子ども期 | 飲み込まれる | 守られる存在 |
青年期 | 挑むが敗れる | 試行錯誤の時期 |
大人期 | 乗り越える | 自立と責任 |
結末の意味|残酷ではなく“悪への勝利”
『三びきのこぶた』の結末で、こぶたがオオカミを鍋で煮て食べる場面は、単なる「けじめ」ではありません。 これは、オオカミに象徴される“悪”――暴力、理不尽、恐怖――に対して、こぶたが知恵と準備で打ち勝つことを表しています。
こぶたは力で戦ったのではなく、冷静に状況を見極め、工夫を重ねて、試練を乗り越えました。 その結果として、オオカミは退けられ、こぶたは安心して暮らせるようになります。
この描写は、子どもたちに「困難に立ち向かう力は育てられる」「悪には勝てる」という希望を伝えるものです。 そして、語り手の工夫によって、結末は怖さではなく達成感と安心感として受け止められます。
たとえば、こう語ることができます:
「こぶたは、しっかり準備していたから、もうオオカミに困らなくなったんだよ」 「それから、安心して暮らしました」
物語の終わりは、恐怖の終息と平和の始まり。 それは、子どもたちの心に「自分にも乗り越える力がある」と伝える、大切なメッセージなのです。
劇遊びへの展開|身体と心で“成長”を体験する
語りが終わってから、先生方と相談しました。子ども達の反応がすごいので劇遊びにしてみようということになりました。セリフは即興でいい。物語の場面ごとに子ども達と一緒に作っていきましょう。
三匹のこぶた、それぞれの家を建てる
一番目のこぶた「ぼくは藁で家を作る。簡単で楽ちん」
二番目のこぶた「わらより木の枝の方が丈夫だよ。どうだ、ぼくの家は立派だろう?」
三番目のこぶた「わらや木の枝もいいけれど、ぼくはレンガで家を作る。レンガは重い。時間もかかる。きっと丈夫な家になる。嵐が来ても火事があっても絶対、大丈夫だよ」
オオカミがやってくる
オオカミ「フンフン、うまそうなこぶたの匂いがする。わしは腹ペコだ。(藁の家に近づく。甘い声で)おーい、こぶたちゃん、遊ぼ。出ておいで」
一番目のこぶたはどうなる?わらの家 → 吹き飛ばされる
こぶた「いやだよ、お前、オオカミだろ。出ないよ」
オオカミ「なにを!生意気な。おまえなんかひと吹きさ。ふう、ふう、ふう」
藁の家を飛ばす。こぶた、転がり出る。オオカミはぱくりと飲み込む。こぶたはオオカミ役の陰に隠れる。なるべく人目につかないようにして退場する。
オオカミ「うまかった。次はおまえだ。こぶたちゃん、りっぱなな藁の家に住んでいるね。出ておいで、俺と一緒に遊ぼう」
二番目のこぶた 木の家 → 吹き飛ばされる
こぶた「いやだよ、出ないよ」
オオカミ「なにを生意気な!こうだぞ。フウフウのフウッ」
オオカミに飲み込まれる
オオカミ「ああ、うまかった。こぶたを2匹、食っちまった。一眠りしよう。だが、もっと食いたい。レンガのこぶたを食っちまおう」
レンガの家→オオカミが何度、吹いても倒れない。
オオカミ「こぶたちゃん、れんがのこぶたちゃん、出ておいで。遊ぼうよ」
こぶた「いやだよ。出て行ったらぼくを食べるだろう?行かないよ」
オオカミ「なにを生意気な!今に見てろ」オオカミはレンガの家を吹き飛ばそうとして力いっぱい吹く。
レンガの家はびくともしない。オオカミは悔しい。
オオカミはレンガの家に体当たりをする。その度に跳ね返される、「痛い、痛い、いてて」とうずくまる。
オオカミの誘い ①「蕪を取りに行こう」
オオカミ「おはよう、こぶたくん。蕪を取りに行かないかい。甘い蕪ができているんだ。明日の朝、6時に迎えにくるよ」
こぶた「うん、いいよ。オオカミさん、明日の朝、6時だね」
オオカミ「約束だよ、じゃあな」
こぶた「オオカミが6時に来るなら、ぼくは5時に行こう」
こぶたは1時間早く行って蕪を取って帰る ♠頭、いいね
こぶた「わあ、甘そうな大きな蕪がとれた!1時間前に来てよかった!うふふ、ぼくって頭がいいね」
オオカミ、悔しがる。 「ヤラレタ・・・」
オオカミ「おはよう、こぶたくん。蕪、とりに行こうぜ」
こぶた「おはよう、オオカミさん。もう取ってきたよ。おいしそうな蕪、いっぱいだよ」
オオカミ「う、ぬぬぬ。悔しい、ヤラレタ」
オオカミの誘い②「りんごを取りに行こう」
オオカミ「こぶたくん、りんごが赤くなっているよ。明日の朝、5時に迎えにくるから一緒に行こう」
こぶた「明日の朝5時だね。(独白)じゃ、ぼくは4時に行こう。いつも1時間前さ」
こぶたはまた早く出発し、木に登ってりんごを取る
こぶた「うわあ、真っ赤にうれている、おいしそう。オオカミが来る前に取ってしまおう。」
オオカミが来た。りんごを投げて気をそらす。咄嗟の判断がすごい!
オオカミの誘い③「祭りに行こう」
こぶた「祭りはいいな。樽を買っておこう。樽でチーズを作ろうか。葡萄酒を作るのもいいな」「おじさん、樽を売ってください」
こぶたは先に祭りへ行き、樽を買う
帰り道でオオカミが現れる。こぶたの機転が試される。
こぶた「あ、オオカミだ。樽に隠れよう」「そうだ、オオカミめがけて転がってみよう。この道は坂になている。よーし、行くぞ!」
こぶたの知恵が炸裂!
]オオカミ「ひえっ、樽がゴロゴロ転がってくるぞ!樽おばけだ。助けてくれ〜」
レンガの家での攻防
オオカミが何度吹いても壊れない。窓から侵入しようとする。
オオカミ「こぶため、家の中に入ったな。もう逃さんぞ。食ってやる」オオカミはレンガの家を吹いたり体当たりしたがびくともしないのでかんかんに怒った。
オオカミ「どこかに入れる所はないか。煙突だ!」オオカミは煙突に頭から入った。
こぶたは火を焚き、大鍋を用意。
こぶた「大鍋に水を入れて、沸かしておこう。美味しい料理を作りたいからね」
- オオカミが煙突から落ちてきて、鍋でぐつぐつ煮られる
この場面は人間劇でリアルに表現するのは避けたいですね。何故かというと、オオカミは「悪の象徴」として語られているからです。語りで終わるのが良いですね。
人形劇ならオオカミ人形を鍋に入れて蓋をする動きにすると意図することが伝わります。
⑦最終場面|鍋で煮て食べる
🔹テーマ:完全勝利・安心・終息を表す。 リアルなオオカミを表現するのは良くないので気をつけましょう。
この場面もリアルな人間劇で表現するのは避けたいですね。どうするかというと語りにすれば生々しい感じがしないで真意が伝わります。人形劇なら大丈夫です。
お考えくださいね。
この結末は残酷なのか?
昔話の文脈では「知恵の勝利」
- こぶたは暴力ではなく、知恵と準備でオオカミに勝つ
- 食べるという描写は、昔話特有の“けじめ”の表現
- 子どもたちは「こぶたが勝った!」という達成感を感じる。
子どもたちの受け止め方
-
- 怖がるよりも「すごい!」「やったー!」と喜ぶ声が多い
- オオカミが“悪いことをした結果”として納得する
- 物語の終わりに安心感がある
語り手・保育者の工夫で柔らかく伝えられる
- 「ぐつぐつ煮て…それから、もう来なくなったんだよ」
- 「こぶたたちは、安心して暮らせるようになったんだね」
- 結末の語り方で、印象は大きく変わる。
語りから劇遊びへ――気楽に、でも確かな力を育てる時間
昔話を語ると、子どもたちの目が輝きます。 そして、その物語を身体で遊び始めると、心が動き出します。 逃げる、守る、立ち向かう――その一つひとつの動きの中に、子ども自身の「今」が映し出されていきます。
劇遊びは、完成度を求めるものではありません。 うまく演じる必要も、正しく再現する必要もありません。 大切なのは、子どもが自分の気持ちを動かし、表現すること。 その瞬間にこそ、育ちの芽があるのです。
語りのあとに「やってみようか」と声をかけるだけで、 子どもたちは物語の世界に飛び込み、自分の力で遊び始めます。
どうぞ、気楽に始めてみてください。 語りの力と、子どもたちの内なるエネルギーが、 きっとあなたの現場に、思いがけない花を咲かせてくれます。
まとめ|昔話は、子どもの心を育てる“実践の力”
昔話は、子どもたちの心に働きかける、確かな教育の道具です。 語りによって、子どもは物語の世界に入り込み、 劇あそびによって、感情や行動を自分のものとして体験します。
『三びきのこぶた』を通して、 子どもは「逃げる」「守る」「立ち向かう」といった心の動きを、 遊びながら自然に身につけていきます。
この体験は、自己表現・感情の整理・仲間との関係づくりなど、 保育・家庭・教育の現場で育てたい力そのものです。
難しく考えなくて大丈夫。 語ってみる、やってみる――それだけで、子どもたちは動き出します。
昔話は、心の成長を支える“実践の力”。 語りと劇あそびは、今すぐ始められる“育ちの時間”。
どうぞ、あなたの現場でも、気軽に取り入れてみてください。 子どもたちの中に、確かな力が育っていくのを、きっと感じられるはずです。
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