ディズニー映画と原作童話の違いを知りたい方へ
ハンス・クリスチャン・アンデルセンの童話は、「リトル・マーメイド」「雪の女王」「マッチ売りの少女」など、多くの名作がディズニー映画の元になっています。
しかし、その映画化によって物語の結末やテーマは大きく変わっていることをご存じでしょうか?幼児教育の現場で大切なのは、こうした違いを理解し、子どもたちに物語の本質を伝えることです。
なぜ、今アンデルセン童話の“原作”に目を向けるのか?
ディズニー映画は素晴らしい。でも、それだけでいいのか?
現場では、「子どもが喜ぶから」「映像がきれいだから」と、ディズニー映画をそのまま教材に使う場面をよく見かけます。 それ自体を否定するつもりはありません。
私自身も、初めて『リトル・マーメイド』を観たとき、その映像美と音楽に心を奪われました。
私は、現場で子どもたちと向き合いながら、アンデルセン童話を語り続けてきました。
そして、研究者としても、彼の作品が持つ“人間の深い感情”に何度も心を揺さぶられてきました。
だからこそ、原作を知らずに終わってしまうことは、あまりにも惜しい。
アンデルセンの物語には、文字や絵では表しきれない、感情の揺れや葛藤、祈りのような静かな動きが息づいています。
それは、子どもたちの心の奥に届く“感じる体験”を生み出す力を持っています。
けれど現場では、そうした物語が「かわいいね」の一言で片付けられてしまうことが少なくありません。 そのたびに、私は強い危機感を覚えます。
アンデルセンこそ、子どもたちに“深い感情体験”を届けることができる作家です。 そして、その体験は、子ども時代にこそ必要なものだと、私は確信しています。
悲しみ、孤独、願い、そして希望―― それらを、物語を通して感じることができた子どもは、 やがて他者の痛みにも、自分の心にも、静かに寄り添えるようになります。
それが、教育の本質であり、語り継ぐべき物語の力なのです。
原作に込められた“静かな問いかけ”とは
アンデルセンの童話は、決して派手ではありません。 むしろ、報われない愛、孤独、祈り、死―― 子どもたちが「かわいそう」と感じるような場面が多く描かれています。
でもその中に、生きることの意味や、人を思う気持ちの深さが、静かに息づいているのです。
子どもの心、大人知らず――本当の“感じる力”とは
保育の現場では、どうしても「楽しい」「明るい」「ハッピーエンド」が求められがちです。 けれど、私は長年、子どもたちと向き合ってきて、何度も何度も思い知らされてきました。
子どもたちは、大人が思っているより、はるかに深く、はるかに豊かに感じている。
その感受性の鋭さに、私は何度も驚かされ、教えられてきました。
大人が「これは難しい」「まだ早い」と決めつけてしまうとき、 子どもたちは、静かに、でも確かに、物語の奥にある感情を受けとめているのです。
悲しみや葛藤に触れたとき、 「どうして?」「かわいそう」「自分だったらどうする?」と、 子どもたちは自分の心に問いかけ始めます。
その瞬間こそが、教育の本質に触れる時間です。
それは、テストでは測れない、 でも確かに“生きる力”へとつながる、かけがえのない時間です。
原作と映画――具体的な違いを見てみよう
『リトル・マーメイド』:愛のかたちと“泡になる”という選択
ディズニー映画『リトル・マーメイド』ではアリエルが王子と結ばれ、夢見る恋を実現させるハッピーエンドです。
一方、アンデルセンの原作では、アリエルは王子の愛を得られず、海の泡となって消えてしまいます。
この結末は単なる失恋ではなく、自らの愛を貫く深い「祈り」の選択として描かれており、子どもたちに自己犠牲や愛の切なさを感じさせます。
こうした違いを教育現場で語り合うことは感受性を育む貴重な機会となります。
実際に私が子ども達とやりとりした様子を書きますね。
たとえば、ある日の読み聞かせで『人魚姫』の原作を語ったあと――
私:「人魚姫は、王子に気持ちを伝えられなかったね。最後は泡になってしまったけど……どうしてだと思う?」
子どもA:「え?なんで?王子に好きって言えばよかったのに!」
私:「そうだね。でも人魚姫は、王子が幸せになることを願って、自分の気持ちは言わなかったんだよ」
子どもB:「それって……ちょっと悲しい。でも、やさしいね」
私:「もし、あなたが人魚姫だったら、どうする?」
子どもC(しばらく考えて):「うーん……言いたいけど、言えないかも。泡になるのはイヤだけど……でも、好きな人が笑ってたら、それでいいかも」
その瞬間、私は思いました。 子どもたちは、ちゃんと“感じている”。 そして、物語を通して、自分の中の感情と静かに向き合っているのです。
こうしたやり取りは、特別な準備がなくても生まれます。 大切なのは、語り手が物語の奥にある感情を信じて、問いかけること。
「かわいそうだったね」で終わらせず、 「あなたならどうする?」と問いかけるだけで、 物語は“自分のこと”になり、心の深いところで動き始めるのです。
『アナと雪の女王』と『雪の女王――“心が凍る”ということ
ディズニー映画『アナと雪の女王』は、アンデルセンの『雪の女王』をもとにした作品です。
映画では姉妹の絆や自己肯定感が描かれ、エルサの「Let It Go」は多くの子どもたちの心をつかみました。
実際、女の子達が楽しそうに声を張り上げて歌っていました。その度にこれでいいのかなあ、そんなに嬉しい話ではないのに・・・と心の奥底で感じてしまうのです。
原作『雪の女王』には、もっと静かで、深いテーマが流れています。 それは、“心が凍る”とはどういうことか――という問いです。
原作では、カイという少年が、魔法の鏡の破片によって心を凍らされてしまいます。 優しかった彼は冷たくなり、大切な人を傷つけ、感情を失っていきます。
そして、雪の女王の城で、氷のように固まったまま、ただ黙々と氷のかけらを並べて“永遠”という言葉を作ろうとしているのです。
私はこの物語を語るとき、子どもたちにこう問いかけました。
「ねえ、心が凍るって、どんな感じだと思う?」
しばらく沈黙があってから、ぽつぽつと声が上がります。
「なんかね、胸がカチンってなる」(5歳)
「泣きたいのに、涙が出ないときあるよ」(6歳)
「お友だちに『もう遊ばない』って言われたとき、ここ(胸)が冷たくなった」(5歳)
「ママに怒られたとき、心がギューってして、何も言えなくなった」(6歳)
「さみしいのに、誰にも言えないとき……なんか、固まっちゃう」(5歳)
私はうなずきながら、こう続けました。
「そうだね。カイも、そんなふうに心が冷たくなって、誰にも気持ちを見せられなくなってたんだよ。 でもね、ゲルダが来て、涙を流したとき――その涙が、カイの心の氷を溶かしたの」
すると、子どもたちの目がふわっとやわらかくなり、また声が上がりました。
「涙って、あったかいんだね」(6歳)
「やさしい気持ちが、氷をとけさせたんだ」(5歳)
このやり取りの中で、私は改めて感じました。 子どもたちは、言葉にならない感情を、物語を通して探し始める力を持っている。
そして、語り手が問いかけることで、その力は静かに、でも確かに動き出すのです。
『雪の女王』は、ただの冒険譚ではありません。 心が閉じてしまうこと、そしてそれを溶かす“愛と祈り”の力を描いた、深い癒しの物語なのです。
子どもたちは、自分の経験と重ねながら、 “心が凍る”という感覚を、自分の言葉で探し始めます。
そして、ゲルダの涙がカイの心を溶かす場面では、 「涙って、あったかいんだね」「やさしいって、すごい力なんだね」と、 感情の回復や、誰かを思う力の尊さに気づいていきます。
この物語は、ただの冒険譚ではありません。 心が閉じてしまうこと、そしてそれを溶かす“愛と祈り”の力を描いた、深い癒しの物語なのです。
『マッチ売りの少女――“かわいそう”の奥にあるもの
この物語は、現場では「かわいそう」で終わってしまいがちです。 けれど、私は語るたびに思います。
本当に“かわいそう”だけで終わっていいのでしょうか?
ある冬の日、私は子どもたちに『マッチ売りの少女』を語りました。 少女がマッチを擦るたびに見た幻想―― その中でも、子どもたちが一番反応したのは、あの場面でした。
「焼きたてのガチョウが、背中にナイフとフォークを刺したまま、少女の方に歩いてくる」
語り終えると、すぐに手が上がりました。
子どもA(5歳):「あのガチョウ、ほんとに歩いてきたの?」
子どもB(6歳):「ママがごはん持ってきたのかと思った」
子どもC(5歳):「おなかすいてたんだよね。だから、うれしかったんだよね」
私はうなずきながら、こう返しました。
私:「そうだね。おなかがすいて、さむくて、でもマッチをつけたら、あったかいごちそうが見えたんだよね」
そして、物語の最後――少女が冷たくなって、天にのぼっていく場面。
私:「少女は、マッチの光の中で、おばあさんと一緒に空の上にのぼっていきました」
すると、また手が上がります。
子どもD(6歳):「死んじゃったの?」
私:「うん……そうだね。でも、苦しくなくて、あったかいところに行ったんだよ」
子どもE(5歳):「天国ってこと?よかったね。もうさむくないね」
子どもF(6歳):「おばあちゃんに会えて、うれしかったと思う」
私はそのとき、はっとしました。 子どもたちは、死を“終わり”ではなく、“救い”として受けとめていたのです。
大人はつい、「この話は重すぎるのでは」「かわいそうすぎるのでは」と心配します。
でも、子どもたちは、ちゃんと捉えています。
悲しみの中にあるやさしさや、祈りのような救いを、まっすぐに感じ取っているのです。
子どもたちに“本質”を伝えるために
感じる力・想像する力を育てる物語体験ーー現場から
子どもたちは、物語を通して「自分だったらどうする?」と考えます。 それは、自分の感情と向き合う練習でもあります。
原作童話には、その力を育てる“余白”があるのです。
「かわいそう」で終わらせない語りの工夫
物語を語る際に「かわいそう」で終わってしまうことはよくあります。
しかし、そこで止まらず、「この子は何を一番望んでいたのか?」「もし自分だったらどう受け止めるだろう?」といった問いかけを加えましょう。
このプロセスは子どもたちに自己の感情を深く見つめる訓練となり、物語が単なる話から生きた「心の体験」へと変わります。
私は、現場で何度もその場面に立ち会ってきました。 だからこそ、その“かわいそう”の奥にある気持ちを、もう一歩だけ深く掘り下げたいのです。
たとえば、こんなふうに問いかけてみます。
「この子は、何が一番ほしかったんだろうね?」
「もし、あなたがこの子だったら、どうしてたと思う?」
「この子の気持ち、どんなふうだったと思う?」
すると、子どもたちは、ふっと考え始めます。
「おばあちゃんに会いたかったんだと思う」
「さみしかったけど、がんばってたんだよ」
「わたしだったら、マッチを全部つけちゃうかも」
その瞬間、物語が“他人の話”から“自分のこと”に変わるのです。 それは、子どもが物語の中に自分を重ね、心の奥で何かを感じ、考え始めた証です。
語り手として大切なのは、子どもの「かわいそう」という言葉の奥にある感情を、信じて待つこと。
そして、問いかけることで、その感情が自分の言葉になるのを手伝うこと。
「かわいそう」で終わらせない語りには、子どもの心を信じる勇気と、対話を続ける覚悟が必要です。 でも、その先にこそ、物語が“生きた体験”になる瞬間があると、私は信じています。
保育・教育現場での“問い”の種まきとして
物語は、答えを教えるものではありません。 問いを残すものです。
その問いが、子どもたちの中で芽を出し、やがて生きる力になるのです。
現場でできる、小さな実践のヒント
読み聞かせ+対話:「あなたならどうする?」と問いかける
読み終えたあとに、子どもたちと語り合う時間をつくるだけで、 物語は“感じる体験”に変わります。
ごっこ遊び・即興劇で“気持ちを生きる”
登場人物になりきって遊ぶことで、子どもたちは感情を身体で理解します。 劇団天童の活動でも、即興劇から深い気づきが生まれています。
保護者にも、原作の魅力を伝えることで、家庭でも物語が語られるようになります。 「映画だけで終わらせない」語りの文化を、地域で育てていきましょう。
物語の奥にある“静かな声”を、子どもたちへ
アンデルセン童話は、静かで深い問いかけを私たちに残しています。 それは、報われない愛や孤独、祈り、そして希望―― 子どもたちの心にそっと届く“感じる物語”です。
ディズニー映画で物語に親しんだ子どもたちに、原作の奥にある静かな声をどう届けるか。 そのヒントは、語り・演じる・対話するという実践の中にあります。
こうした小さな実践の積み重ねが、子どもたちの“感じる力”や“想像する力”を育てていきます。 それは、単なる知識の伝達ではなく、心の深いところに届く教育です。
あなたの現場で、今日からできること
- 読み聞かせのあとに「あなたならどうする?」と問いかけてみる
- 映画を観たあとに「原作ではどうだったか」を一緒に調べてみる
- ごっこ遊びや即興劇で、登場人物の気持ちを“生きて”みる
- 保護者に「原作の魅力」を伝えるミニ通信を作ってみる
どれも、特別な準備は必要ありません。 語り手としてのあなたのまなざしと、子どもたちへの信頼があれば、すぐに始められます。
保護者と共有する「原作の力」――家庭との連携
保護者にも、原作童話の魅力を伝えることで、家庭でも物語が語られるようになります。 でも、「原作を読んでください」と伝えるだけでは、なかなか届きません。
だからこそ、保育の現場から、ちょっとした“きっかけ”を手渡すことが大切だと私は思っています。 以下は、私が実際に行っている、またはすぐに取り入れられる小さな工夫です。
おたよりや連絡帳に「ひとこと原作メモ」を添える
たとえば、こんなふうに書き添えます:
「今日は『マッチ売りの少女』を読みました。子どもたちは“天国に行けてよかったね”と、 少女の気持ちに静かに寄り添っていました。 原作では、少女が見た幻想の場面がとても印象的です。 よかったら、おうちでも一緒に読んでみてくださいね。」
たった数行でも、保護者の関心を“映画のその先”に向けるきっかけになります。
絵本コーナーに「原作と映画のちがい」ミニ展示をつくる
たとえば、こんな組み合わせ:
- 『リトル・マーメイド』の絵本(原作版)+ディズニーの絵本
- 『雪の女王』の絵本+『アナと雪の女王』の写真絵本
- 『マッチ売りの少女』の原作絵本+アニメ絵本や紙芝居
その横に、手書きのメモを添えます:
「原作では、アリエルは泡になってしまいます。 でも、それは悲しいだけじゃなく、“自分の愛を貫いた選択”として描かれています。」
こうした展示は、保護者が“立ち止まって考えるきっかけ”になります。
保護者会や懇談会で「子どもたちの声」を紹介する
たとえば、こんなふうに:
「『雪の女王』を読んだあと、子どもたちに“心が凍るってどんな感じ?”と聞いたら、 『胸がカチンってなる』『さみしいのに言えないとき』って答えてくれました。 子どもたちは、ちゃんと感じて、考えているんです。」
子どもたちの言葉を通して、保護者の心にも物語の深さが届くことがあります。
SNSや園のブログで「今日のひとこと原作紹介」
忙しい保護者にも届くように、短く、やさしい言葉で:
「今日は『マッチ売りの少女』を語りました。 子どもたちは“天国に行けてよかったね”と、少女の気持ちをまっすぐに受けとめていました。 原作の静かな祈りのような結末、ぜひご家庭でも語ってみてください。」
スマホで読める長さ・温度感を意識することで、共感が広がります。
語りの文化は、家庭とつながってこそ育ちます
「映画だけで終わらせない」語りの文化は、 保育の現場と家庭が、物語を通してつながることから始まります。
難しいことは必要ありません。 子どもたちの声を伝えること、原作の魅力をそっと手渡すこと――それだけで、十分です。
そして、そうした小さな積み重ねが、 地域に“語りの土壌”を育てていく力になると、私は信じています。
最後に――この物語を、あなたの言葉で
この記事が、あなたの現場に小さな灯りをともすことができたなら、 それは、私にとって何よりの喜びです。
物語は語り手の言葉で新たな命を得て、子どもたちの心に深く響きます。だからこそ、アンデルセン童話の静かで繊細な声を、あなた自身の言葉で丁寧に紡ぎ、次の世代へと語り継ぐことが未来を豊かにする第一歩です。


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